ニニギノミコトとはどんな神様?
ニニギノミコトは日本神話で有名な天孫降臨の主役となった神様です。
天照大御神の孫で、初代の天皇である神武天皇の曾祖父にあたります。
古事記では「邇邇芸命」、日本書紀では「瓊瓊杵尊」と表記されます。
正式名称は古事記によると、「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)」となっていますが、これ以外にもニニギノミコトを表す名前が10個以上あったりします。
ニニギという名前は、「稲穂がにぎにぎしく育つ」「稲穂が豊かに実る」という意味があります。
そこからニニギノミコトは農耕神という性質を持っていると考えられます。
天孫降臨は、天の神様が地上に降り立つ様子を描いた物語ですが、これには天から降った神聖な稲穂が地上で豊かに成長していくというイメージも伴っていると考えられています。
天孫降臨はどんな物語?
ニニギノミコトに関する最も有名なエピソードは、やはり天孫降臨の神話です。
とはいうものの、天孫降臨の物語を知らない方もいらっしゃることと思います。
そこで、ここでは簡潔に天孫降臨の物語をお話したいと思います。
事の発端は、天照大御神が葦原の中つ国を自分の子である天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が統治する国にしようと考えたことでした。
葦原の中つ国とは、当時大国主命(オオクニヌシノミコト)が治めていた国で、私たち人間が住んでいる世界と考えてよいと思います。
葦原の中つ国を平定するために、高天原(天照大御神などの天津神が住んでいる天界)から何度か神様を遣わしますが、うまくいきませんでした。
そこで、高天原の神々が相談した結果、建御雷神(タケミカヅチノカミ)が天鳥船(アメノトリフネ)を携えて、直接オオクニヌシノミコトに直談判しにいくことになりました。
オオクニヌシノミコトの息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)との力比べなどひと悶着ありましたが、タケミカヅチノカミの申し立てにオオクニヌシノミコトは国を献上することに同意します。
こうして、葦原の中つ国は高天原の神々が統治する国となり、予定通りアメノオシホミミノミコトがその地に降り立つことになります。
ところが、アメノオシホミミノミコトは準備をしている間に息子が生まれたので、その子を降臨させてほしいと訴えます。
この息子こそがニニギノミコトであり、高天原から葦原の中つ国へと降り立つわけです。
このとき、天照大御神はニニギノミコトに勾玉と鏡と剣を与えています。
これが、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)、八咫鏡(ヤタノカガミ)、天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)の天皇家に伝わる三種の神器です。
さて、以上が天孫降臨の物語ですが、天皇の祖先である神様が地上に降りるという象徴的な意味合いが込められています。
これには、色々な政治的解釈がなされているようですが、確固とした定説というものはないようです。
ただ、皇室の祖神である天照大御神の孫(天孫)が地上に降臨して今日まで続く天皇の系譜ができたのであり、そこから天皇の日本統治を正当化ならしめる神話であると一般的に考えられています。
このような神話が実在した出来事なのかどうかはもちろん分かりませんが、管理人個人的には本当の話であってほしいと思いますね。
人間に寿命ができた理由とは?
地上に降り立ったニニギノミコトは国づくりにいそしみますが、その最中に木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)という美しい女性に出会います。
ニニギノミコトはコノハナノサクヤビメに求婚しますが、コノハナノサクヤビメから彼女の父親である大山津見神(オオヤマツミノカミ)に聞いてみないと分からないと言われます。
そこで、ニニギノミコトはオオヤマツミノカミに相談したところ、オオヤマツミノカミはとても喜び、コノハナサクヤビメの姉の石長比売(イワナガヒメ)と一緒に嫁がせることにしました。
しかし、イワナガヒメはとても醜かったので、ニニギノミコトは彼女だけ送り返してしまいます。
この仕打ちにオオヤマツミノカミは落胆してしまいます。
オオヤマツミノカミが言うには、
「私が二人を奉ったわけは、石長比売をお使いになると、ご寿命は石のように永久に堅実になり、また木花之佐久夜毘売をお使いになれば、木の花のように栄えるであろうと誓言したからです。けれども、石長比売を返して木花之佐久夜毘売だけお留なさったので、天の神の御子のご寿命は木の花のようにもろくなるでしょう」
ということでした。
この出来事があったため、今日まで天皇のご寿命が長くなくなってしまったということです。
ニニギノミコトを祀る神社
ニニギノミコトを祀る神社は結構ありますが、妻のコノハナサクヤビメと一緒に祀るケースもあります。
- 霧島神宮
- 高千穂神社
- 新田神社
- 築土神社
- 箱根神社
など。