北欧神話の文献について、これまでに何度か触れてきましたが、「何が何やらよく分からん」と混乱してしまった方もいらっしゃると思います。
そこで、この記事では北欧神話の文献ついて簡単に説明したいと思います。

北欧神話の資料となる文献には、『スノリのエッダ』と『古エッダ』と呼ばれる2つの詩集があります。
その他にも北欧の神話や英雄物語を伝える文献はありますが、北欧神話の原型を伝えるものとして上記2つの資料が特に重要となっています。

スノリのエッダ

『スノリのエッダ』とは、アイスランドの詩人で政治家でもあったスノリ・ストルルソン(1178~1241)によって作成された詩の教本です。
元々は『エッダ』という名称でした。
後述する『古エッダ』と区別するために『スノリのエッダ』、または『散文のエッダ』『新エッダ』と呼ばれることもあります。
およそ1220年頃の著作と考えられています。

3部構成となっており、本来は詩を書くための入門書という意味を持っていましたが、1部の『ギュルヴィたぶらかし』が北欧神話を体系的に記述したガイダンスのようなものとなっているため、北欧神話を知るうえで欠かせない書物となっています。

『ギュルヴィたぶらかし』は、スウェーデンの魔術の王であるギュルヴィがガングレリという名の老人に変装し、アースガルズを訪問してハール、ヤヴンハール、スリジという3人の神様に会い、世界の創造から終末までの物語を教えてもらうという構成になっています。
ガングレリが質問をし、3人の神がそれに答えるという問答形式になっており、しばしば『古エッダ』の詩を引用する場面があります。

翻訳でも読んでみると分かるのですが、北欧神話を伝える物語としてほんとよく練られているなあ~と感心すると思います。

連続性がなく断片的に残っていた北欧の神話を、しっかりと整理し系統立ててまとめた大作と言えますね。
そういう意味で、日本での『古事記』やギリシアでのヘーシオドスの『神統記』に相当すると考えてよいかと思います。

なお、『ギュルヴィたぶらかし』に登場するガングレリも3人の神も、実はオーディンと同一人物と一般的に考えられています。

古エッダ

『古エッダ』とは、1643年にアイスランドのスカウルホルトという村でブリュニヨールヴ司教によって発見された歌謡集のことを指します。
45枚の羊皮紙で発見されましたが、8枚ほど失わており、現在判読できるものは31編の歌となっています。
後にデンマークのコペンハーゲンの王立図書館に収められたことから『王の写本』と呼ばれました。
北欧神話の原型を現在にも伝える文献の中で最も古いと考えられています。

ただし、それぞれの詩の成立年代については専門家の間でも意見が分かれています。
『古エッダ』の中に『スノリのエッダ』で引用されている詩があり、それらの原型はスノリ・ストルルソンが著した1220年頃以前に書かれたと推定できます。
そういった事情を考慮して、全体としておおまかに紀元800年~1100年頃に成立したと考えられています。
ですが、全ての詩が成立したのは13世紀の後半、すなわち『スノリのエッダ』より後とする見解もあります。

成立年代だけでなく、もう一つややこしいのが『古エッダ』という名称です。
発見者のブリュニヨールヴ司教は、12世紀のアイスランドの学者であるセームンドによる著作であると考え『スノリのエッダ』と区別するため、『セームンダルエッダ』と呼ばれることがありました。
ところが、これは間違いであり、現在は作者は分かったおらず、セームンドによる著作ではないものとされています。

ブリュニヨールヴ司教はスノリ・ストルルソンが著した『エッダ』の中に、自身が発見した詩がしばしば引用されていたため、これらが元となった原本の詩だと考えて『エッダ』と名付けてしまいました。
つまり、今から見ると、『エッダ』という名称が二重に使われたということになります。

今までの説明でも分かりにくいと思いますので、思いっきり単純化すると、

  • 『スノリのエッダ』→スノリ・ストルルソンが1220年頃に著した『エッダ』
  • 『古エッダ』→1643年に発見された45枚の羊皮紙→『王の写本』

となります。

どちらも同じ『エッダ』という名称ですが、便宜的に区別するためにそれぞれ『スノリのエッダ』、『古エッダ』と呼ばれているということです。
また、『古エッダ』は『詩のエッダ』と呼ばれることもあります。