激しい感情を表すときに、「胸を焼く」と言うことがあります。

日常会話ではあまり使うことはないかもしれませんが、文学作品などでよく見かける表現です。

特に中島敦の短編小説「山月記」に登場することから、学校でも教わることがありますね。

この記事では、「胸を焼く」の意味から使い方と言い換え表現を詳しく紹介しています。

胸を焼くの意味は?

「胸を焼く」という表現は、強い感情や思いが心の中で強く焦がれるような状態を意味します。

主に、激しい嫉妬や強い憧れ、未練など、内心を深くかき乱す情緒を伴う状況で使用されます。

感情が心に深く影響を及ぼすほど強いため、心の中が燃えるように感じることから、「胸を焼く」と表現されます。

例えば、愛する人が他の人と親しくしているのを見て嫉妬にかられる時や、手に入れたいものが手に入らず強く焦がれる時などに使われます。

山月記での使用例は?

国語の教科書にもよく掲載される中島敦「山月記」に、「胸を焼く」という表現が出てきます。

胸を焼くようなこの悲しみをだれかに訴えたいのだ。おれはゆうべも、あそこで月に向かってほえた。だれかにこの苦しみがわかってもらえないかと。

という部分ですね。

これは、主人公の李徴(リチョウ)の言葉ですが、虎に変わってしまうという衝撃的なシーンでの一節です。

李徴は、もともと科挙の試験に合格するほどの優秀な学者でしたが、その性格の頑固さと野心のために周囲と調和を欠き、簡単な役人の職には満足できず、より高い名誉と評価を求めて有名な詩人を目指します。

しかし、彼の詩が認められず生活が苦しくなるにつれ、彼のプライドは深く傷つけられます。

この挫折が積み重なり、最終的に李徴は精神的に崩壊し、奇妙な運命に導かれる形で虎に変身してしまいます。

虎となった李徴は、自らが創造した詩を伝える能力を失い、その苦悩が彼をさらに追い詰めます。

文中で述べられている「胸を焼くような悲しみ」とは、彼が人間としても詩人としても失敗し、自己のアイデンティティや創造力を完全に表現できない状況に対する深い悲しみと挫折を表しています。

彼は虎の身体で、人間としての感情と記憶を持ち続けながら、自分の作品を後世に伝えることのできない絶望を抱えています。

この状態が「死んでも死にきれない」彼の苦しみの源となっており、非常に強い感情的な痛みとして表現されているわけです。

中島敦の「山月記」は、中国の伝説をベースにした物語となっています。
デビュー作にもかかわらず、とても高く評価されています。

高校の国語の教科書で取り上げられることがありますね。

私も高校生のときに習い、強烈なインパクトを受けました。
人間が虎に変わるというのはあり得ないことですが、さすがに怖かったですね😨

胸を焼くの例文をご紹介

「胸を焼く」を使った例文を以下に5つ紹介します。

  • 昇進のチャンスを逃し、同僚がその地位を得るのを見て、胸を焼くほどの嫉妬を覚えた。
  • 古い友人の突然の訃報に、胸を焼く悲しみに包まれた。
  • 彼を慕う気持ちが強くなり、彼女の心はいつしか胸を焼くほどの情熱へと変わっていった。
  • あの時、悩んでいる友人に何か言葉をかけてあげればよかったと、後悔の念が胸を焼く
  • 会社の経営危機が深刻化するにつれ、彼は将来に対する不安で胸を焼くような心境に陥った。

日常会話ではあまり頻繁には使われませんが、特に文学作品などでよく用いられます。

胸を焼くの類義語をご紹介

「胸を焼く」の類語は、ひどく悩んでいる様子を意味する言葉となります。

言い換え表現として、次のようなものがあります。

  • 思い煩(わずら)う
  • 心を乱される
  • 胸を焦がす
  • 悶々(もんもん)とする
  • 煩悶(はんもん)する

まとめ

「胸を焼く」という表現は、深い感情に苦しむ心理状態を描写するのに用いられます。

特に中島敦の「山月記」で見られるように、文学の中で強い感情を表す際に効果的です。

簡単に「悩む」と言うこともできますが、それを通り越した深い苦悩を強調します。

「山月記」の李徴が虎に変わるほどの激しい内的苦痛を想像すると、「胸を焼く」という表現の強烈さがよく分かりますね。