「芋(いも)を洗うよう」という慣用句があります。
一口に言うと、混雑していることを意味する表現です。
芋を洗うときの様子から来ていますが、その由来には少し複雑な背景があります。
この記事では、「芋を洗うよう」の意味と由来、例文から類義語や英語表現まで詳しく紹介しています。
芋を洗うようの意味は?
「芋を洗うよう」は、多くの人で混み合っていることを意味します。
特に、混雑した状況でみんながごちゃごちゃと動き回る様子を指します。
芋を水で洗う際に、芋同士がぶつかり合う様子に例えた表現です。
芋を洗うようの由来は?
「芋を洗うよう」の「芋」とは「里芋」のことを指しています。
里芋はじゃがいもやさつまいも、あるいはネバネバした山芋とは異なり、煮物や汁物に欠かせない食材です。
その食感は柔らかく、味わい深いものがあります。
ところが、里芋を扱う際には注意が必要です。
というのも、その皮は非常に硬く、表面がゴツゴツしており、泥を落とすのが難しいからです。
手で強くこすると、シュウ酸カルシウムのせいでかゆみを感じることがあります。
料理のときに、かゆくなった経験をした方は多いでしょう。
そのため、里芋の前処理には少し手間がかかります。
対策として、大きな容器に水と里芋を入れ、棒でかき混ぜることで、里芋同士をこすり合わせて泥を落とす方法が古くからあります。
これは、過去にゴム手袋や一回使い捨ての調理手袋が普及していない時代の、生活の知恵と言えます。
泥を落としているとき、狭い容器の中で里芋はぶつかり合います。
この様子から、人が混雑する場面に例えた言い回しとして、「芋を洗うよう」という表現が生まれたというわけです。
芋を洗うようの例文をご紹介
「芋を洗うよう」の使い方として、例文を5つ紹介します。
- 新年の初売りセールで、店内は芋を洗うような混雑ぶりで、買い物客が入り乱れていた。
- 朝の通勤ラッシュ時の電車内は、まるで芋を洗うように人がぎゅうぎゅう詰めになっていた。
- 夏休みに遊園地を訪れると、家族連れや観光客で芋を洗うように混み合っており、どこもかしこも賑わいを見せていた。
- コンサートの当日券が会場で販売されるが、芋を洗うような人だかりになるのが予想されるので、チケットを手に入れるのは難しいだろう。
- 地元のお祭りの屋台エリアは、芋を洗うような人出でごった返し、各店舗は次から次へと客を迎え入れていた。
芋を洗うようの類義語をご紹介
「芋を洗うよう」の類義語としては、以下のようなものがあります。
立錐の余地もない(りっすいのよちもない)
文字通りには「針を立てる余地もない」という意味で、非常に狭い空間に多くの人や物が詰め込まれていて、これ以上何も入れられないほど満員である状況を指します。
主に、空間の限界を表すのに使われ、非常に狭苦しいとか、ぎゅうぎゅう詰めの状態を強調します。
黒山の人だかり(くろやまのひとだかり)
文字どおりには「黒く見えるほどの大勢の人が集まっている」ことを意味します。
主に大規模なイベントや事故、災害などで、多くの人が一箇所に集まっている様子を指すことが多いです。
特に人の多さやその場の混雑ぶりを色彩的に表現している点が特徴です。
両者ともに、人が密集している様子を表す表現ですが、「立錐の余地もない」はその場の狭さや限界を、「黒山の人だかり」は視覚的な印象と多さを強調する点で微妙にニュアンスが異なります。
その他、混雑するという意味で
- ひしめく
- ごった返す
- 溢れかえる
- 密集する
- すし詰め
などの表現が考えられます。
芋を洗うようの対義語をご紹介
「芋を洗うよう」の対義語も、以下の2つを紹介します。
猫の子一匹いない(ねこのこいっぴきいない)
そのまま「猫の子供一匹もいない」という意味で、非常に人が少ない、または全くいない状況を指します。
しばしば人気のない、静かな場所や、期待していたほど人の出入りがない状態を表現するのに用いられます。
ある場所がどれほど静かで人通りが少ないかを強調する際に使われます。
閑古鳥が鳴く(かんこどりがなく)
閑古鳥(かんこどり)という鳥が鳴いているような、非常に静かで人の気配が全くない様子を表します。
主に商店や施設などが客足が途絶えて寂れている状態を指すのに用いられます。
活気がなくなり、訪れる人がいない寂しい状況を色濃く表現します。
芋を洗うようの英語表現をご紹介
「芋を洗うよう」の状況を英語で表現する場合、ふさわしい表現は“packed like sardines”が近いでしょう。
「イワシのように詰め込まれた」という意味で、非常に多くの人が狭い空間に密集している様子を描写します。
人々が密接して動くことが困難な状況を表すのに用いられます。
The morning train was packed like sardines, making it hard to even move an inch.
(朝の電車は芋を洗うようで、一歩動くのも大変だった。)
といった形で使われます。
まとめ
「芋を洗うよう」は、人や物が混雑している様子を描写する表現です。
昔は、水を入れた容器の中で里芋をかき混ぜ、互いに擦り合わせて泥を落としていました。
この過程で里芋同士がぶつかり合う様子から、「芋を洗うよう」という表現が生まれました。
食材の下処理という日常の一コマですが、興味深い歴史がありますね。
様々な場面で使える表現ですが、このような背景を知ると日常のコミュニケーションがより豊かになるでしょう。