「ローマは一日にして成らず(ろーまはいちにちにしてならず)」ということわざがあります。

何事もコツコツと地道に取り組んでいく必要があるという意味の言葉です。

日本でもよく知られている表現ですね。

この記事では、「ローマは一日にして成らず」の意味と由来、英語ではどのように表現されるかについても紹介しています。

ローマは一日にして成らずの意味は?

「ローマは一日にして成らず」ということわざは、大きな成果や偉大な成就は短期間で達成されるものではなく、長い時間と努力が必要であるという意味です。

重要なことは時間をかけて少しずつ築き上げる必要があるという教訓を含んでいます。

ローマは一日にして成らずの由来は?

「ローマは一日にして成らず」の由来については、複数の説が存在します。

一部には、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を起源とする説もありますが、16世紀のイギリスの劇作家ジョン・ヘイウッドの言葉に由来するというのが有力説のようです。

かつて、ローマ帝国は、その壮大な領土を誇っていましたが、実は紀元前753年に小さな都市国家から始まりました。

偉大な帝国が築かれるまでには、何世紀もの時間が必要でした。

この歴史的背景に基づいて、「ローマは一日にして成らず」ということわざが生まれたというわけです。

ローマは一日にして成らずは英語で何と言う?

由来のところでも紹介したジョン・ヘイウッドの言葉で

Rome was not built in a day.

というものがあります。

これが、そのまま英語での表現となります。

ローマは一日にして成らずの使い方は?

「ローマは一日にして成らず」の使い方として、5つの例文を紹介します。

  • 彼女はピアノの名手になるために毎日練習を重ねた。成功はすぐには来ないが、ローマは一日にして成らずという言葉を胸に、努力を続けた。
  • ローマは一日にして成らずというように、彼は次の大会に備えて、毎日根気よくトレーニングに励んだ。その結果、見事優勝することができた。
  • 英語の勉強をしているが、ローマは一日にして成らずで、なかなか上達しない日々が続いている。
  • スタートアップ企業が市場で成功するまでには時間がかかる。創業者はローマは一日にして成らずという教訓を念頭に置き、忍耐強く事業を成長させた。
  • ローマは一日にして成らずという考えで、庭を美しくするために、毎日少しずつ手入れをしてきた。今はかなり理想の姿に近づいている。

ローマは一日にして成らずの類義語は?

「ローマは一日にして成らず」の類語表現として、以下の3つを紹介します。

千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)

どんなに長い旅や大きな目標も、最初の一歩から始まるという意味です。

大きな成果を達成するためには、小さな一歩を踏み出すことが重要であると教えています。

塵も積もれば山となる(ちりもつもればやまとなる)

小さなものや努力が積み重なれば、やがて大きな結果につながるという意味です。

些細なことでも、継続すれば大きな影響を及ぼすことを示しています。

雨だれ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)

一見弱くて小さいものでも、長い時間をかけて継続すれば、大きな結果につながるという意味です。

雨が長年にわたって降れば、石にも穴を開けるように、地道な努力が大きな成果を生むことを表しています。

ローマは一日にして成らずの対義語は?

「ローマは一日にして成らず」の反対の意味を持つ表現も、以下に3つ紹介します。

直接的な対義語とは言えないかもしれませんが、どれも「最初から成功するのが分かっている」という意味合いの表現となります。

実のなる木は花から知れる(みのなるきははなからしれる)

文字通りには、「花を見れば、その木にどんな実があるか分かる」となります。

そこから、物事の将来の成果や価値は、初期の段階や兆候から予測できるという意味を持ちます。

大成する人は、子供のころから人と違うという意味合いも持っています。

栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)

若い段階から優れた才能や価値が現れることを意味します。

栴檀の木は、若葉の時から良い香りを放つことから来ています。

才能や価値は早い段階で認識されるべきだという教訓も含んでいます。

蛇は寸にして人を呑む(じゃはすんにしてひとをのむ)

直訳すると、「蛇は一寸ほどの小さなものでも、人を呑もうとする気配がある」となります。

そこから、小さなきっかけや瞬間が大きな結果を生むことがあるという意味になりました。

また、優れた人は、幼いころからその資質を見せるものであるという意味も含んでいます。

「蛇は一寸にして人を呑む」とも言います。

まとめ

「ローマは一日にして成らず」ということわざは、大きな成果や目標は短期間で達成されるものではなく、長い時間と努力が必要であるという意味です。

この教訓は、私たちに地道な努力の価値を思い出させてくれます。

自分の理想とする状態に到達するまでに時間がかかるのが常ですが、コツコツと根気よく取り組んでいくしかありません。

どんなに優秀な人でも同じことでしょう。

何事も、まずは一歩一歩着実に進んでいくことが大切ですね。