「初心忘るべからず」ということわざがあります。

何事も始めたときの真剣な気持ちを忘れてはいけないという教訓の言葉です。

日常生活の様々な場面で使われますね。

この記事では、「初心忘るべからず」の意味と由来、例文から類義語や対義語も紹介しています。

初心忘るべからずの意味と読み方は?

「初心忘るべからず」は「しょしんわするべからず」と読みます。

「最初に持っていた心、意気込み、目的などを忘れてはいけない」という意味です。

何かを始めた当初の純粋な動機や情熱、目標を時間が経っても忘れずに、それを大切にし続けるべきだという教えを表しています。

特に、長期間にわたる取り組みや、成長・変化の過程で初心を見失いがちな場面で思い出される言葉です。

初心忘るべからずの由来は?

「初心忘るべからず」の由来は、世阿弥の著作「花鏡」にあります。

その中に「初心忘るべからず」という言葉が記されています。

「花鏡」で、世阿弥は初心に関する三つの重要な側面を説いています。

若い時の初心と、人生の様々な時期の初心、そして老後の初心です。

最初の「初心」は、芸事を始めた若い頃の謙虚さと真剣さを指します。
この時期、若さの一時的な魅力に惑わされず、自己の未熟さを認識し、成長することの重要性を説いています。

次に、中年期の「初心」は、成長が停滞し、新たな挑戦に直面する時期を指し、この時期における心構えと工夫の必要性を述べています。

最後に、老後の「初心」は、肉体的な衰えと美しさの変化をどのように受け入れ、深みのある芸を磨くかについて語っています。

世阿弥の教えは、芸事における長い修行の過程で直面する様々な壁を乗り越え、成長し続けるために、これらの「初心」を常に忘れないことの重要性を強調しています。

このことから分かるように、世阿弥が言いたかったことは、どんなに年齢を重ねても、自分を磨いていく努力が大切であるということです。

なので、単に物事を始めたときの気持ちを思い出そうという意味ではありませんでした。

ただし、現在では、物事を始めた当初の真剣な心構えを保ち続けることの大切さを伝える表現として定着しています。

なお、「花鏡」は世阿弥が50代半ばに書いたもので、約20年間の著述活動の集大成と位置付けられます。

世阿弥と父の観阿弥は、能楽を洗練された芸術形式に昇華させたことで知られています。

世阿弥は、父の教えを受け継ぎ、能に関する訓練方法、心構え、演技に関する理論、演出に関する考え方、歴史、そして能の美学についての自らの理解を書物に記録しました。

これらの著作は、歴史的な文献としてだけでなく、文学的な価値も高いと評価されています。

初心忘るべからずの使い方は?

「初心忘るべからず」の使い方として、5つの例文を紹介します。

  • プロスポーツ選手になっても、彼はいつも初心忘るべからずと心に刻み、若い頃の練習への情熱を忘れずに日々努力を続けている。
  • 彼女は会社を設立して成功を収めたが、初心忘るべからずという謙虚な姿勢を忘れていない。従業員に対しても敬意を持って接することで、周囲からの尊敬を集めている。
  • 長年教師を務める彼は、新しい学期が始まるたびに初心忘るべからずと自分自身に言い聞かせ、生徒たちに対する熱意を新たにしている。
  • 経験を積み重ねる中で、しばしば原点から遠ざかることがある。どんなに高みに登っても、常に初心忘るべからずという姿勢が大切だ。
  • 彼女はボランティア活動を始めて数年が経つが、初心忘るべからずという言葉を胸に、初めてこの活動に参加した時の感動と使命感をいつも思い出している。

初心忘るべからずの類義語は?

「初心忘るべからず」の類語表現として、以下の2つを紹介します。

初志貫徹(しょしかんてつ)

「最初に立てた志や目標を最後まで貫き通す」という意味を持ちます。

何かを始める際の初期の意志や目的を、困難に直面しても変えずに、最後まで守り抜くことを強調しています。

特に目標達成やプロジェクトの完遂において、初めの決意を持続させる重要性を表しています。

原点回帰(げんてんかいき)

物事が複雑になったり、本来の目的や価値から逸脱したりした時に、最初の基本的な状態や考え方に戻ることを意味します。

初期のシンプルな原則や基本に立ち返り、そこから再び物事を見直すことの重要性を示しています。

ビジネスや芸術、個人の成長など、さまざまな分野で用いられる表現です。

初心忘るべからずの対義語は?

「初心忘るべからず」の直接的な対義語は存在しないようです。

あえてあげるなら、「円熟」「熟練」などが考えられます。

経験によって培われる成熟度や技術の高さを示し、初心の段階を超えた上級の段階を表しています。

まとめ

「初心忘るべからず」とは、始めた当初の気持ちや目的を忘れてはならないという意味です。

世阿弥が本来伝えたかったのは、人生の各段階での「初心」の重要性でしたが、現代ではより一般的に、物事を始めた時の純粋な心構えを保つことの大切さを指すようになっています。

人生において「初心」を意識しなければならない場面は、何度も訪れるものと思います。

大きな成功を収めても、慢心すると、アッという間に色々なものを失ってしまいます。

自身の成長のためにも、常に初心を忘れない謙虚な姿勢が大切になりますね。