毎年4月12日は、世界宇宙旅行の日とされています。

意外と知られていないかもしれませんが、国際的にも正式に定められています。

4月12日は、旧ソビエト連邦の歴史的な宇宙飛行からアメリカのスペースシャトル、日本のロケット開発まで、宇宙探査の軌跡をたどる特別な日となっています。

今回は、世界各国がどのようにこの日を迎え、宇宙開発にどのように貢献してきたのか、その興味深い物語をご紹介します。

世界宇宙旅行の日の由来は?

なぜ、4月12日が世界宇宙旅行の日となったのか?

簡単に言うと、人類が初めて宇宙に到達した日だからです。

人間が宇宙を目指し始めたのは20世紀に入ってからで、特に第二次世界大戦後にはアメリカ合衆国とソビエト連邦(現在のロシア)が宇宙開発で競争を繰り広げました。

この時期は「冷戦」として知られ、両国は技術力や軍事力を競い合っていました。

この競争の中で、ソ連は1957年に世界初の人工衛星を、そして犬を乗せた宇宙船を打ち上げることに成功します。

そして、1961年4月12日に、ソ連は「ボストーク1号」という有人宇宙船を打ち上げ、ユーリィ・ガガーリンが世界で初めて宇宙を体験した人物となりました。

このときの「地球は青かった」という言葉はとても有名ですね。

この歴史的な出来事を記念して、4月12日が「世界宇宙飛行の日」と定められたというわけです。

2011年に国際連合総会が決議し、正式に制定されています。

また、現在のロシアでは、4月12日は「宇宙飛行士の日」という祝日となっています。

ソビエト連邦時代に、ガガーリンの宇宙飛行の偉業を称えるために設けられ、それが現在も続いています。

4月12日に、モスクワを含む宇宙関連の地域で様々なセレモニーが開催されます。

中でも、現役の宇宙飛行士がガガーリンの像に献花する儀式は、象徴的な行事の一つとなっています。

ガガーリンはどんな人物?

ここで、世界で初めて宇宙を訪れた人物、ユーリィ・ガガーリンについて少し触れておきます。

ガガーリンは、ソビエト連邦の宇宙飛行士で軍人でもありました。

彼の両親は普通の労働者で、ガガーリン自身も勉強に熱心な性格だったようです。

ガガーリンが通っていた学校には、以前パイロットだった先生がおり、その先生の影響でガガーリンは航空学校に進学し、パイロットの道を歩むことになります。

1955年、ガガーリンは空軍士官学校に入学し、宇宙開発が加速する時代に足を踏み入れました。
この頃、ソ連は優秀なパイロットを選抜して宇宙飛行士としての訓練を行っており、ガガーリンもその一人でした。

彼の身長は約158センチと小柄でしたが、当時の宇宙船のサイズに適していたため、宇宙飛行士として選ばれる要因の一つとなりました。

1961年4月12日、ガガーリンは「ボストーク1号」に乗り、地球を1周する1時間48分の宇宙飛行を行いました。

そして、管制官とのやり取りで「空は非常に暗かったが、地球は青みがかっていた」と語ったようです。

この言葉が、日本では「地球は青かった」と紹介されるようになったというわけです。

世界宇宙旅行の日のイベントは?

4月12日は世界宇宙飛行の日として、宇宙探査の歴史的な一歩を祝うために、世界中で様々なイベントが開催されます。

中でも特に注目されるのが「ユーリーズナイト(Yuri’s Night)」で、世界各地で行われる盛大なお祝いです。

ユーリーズナイトのイベントには、科学館や美術館での教育的な講義から、DJが演出する華やかなパーティーまで、様々なものがあります。

また、宇宙飛行士が宇宙船から地球に向けてメッセージを送ることもあり、これは宇宙と地球をつなぐユニークな体験となっています。

日本でも、科学館などで4月12日に関連イベントが開催されることがあるようです。

アメリカにとっての4月12日は?

ソビエト連邦が有人の飛行船を打ち上げ、宇宙に到達した事実は、当時のアメリカ合衆国にとっては衝撃だったようです。

当然、アメリカは、宇宙開発でソ連に先を越されたと感じますよね。

ただ、この出来事によって、逆に宇宙開発にさらに力を入れるようになったという面もあると考えられます。

実際に、アメリカは、1969年7月にアポロ11号のミッションで、人類は初めて月面に足を踏み入れました。

この偉業から約50年間、人類は月への再訪を果たしていません。

これは、当時のアメリカが宇宙開発にどれほど力を入れていたかを示しています。

また、この後、アポロ計画の高額なコストと、宇宙開発の方向性の変化により、宇宙での「滞在」への関心が高まりました。

この新たな目標を達成するために、スペースシャトル計画が生まれます。

そして、1981年4月12日、アメリカはスペースシャトルの初の打ち上げに成功します。

興味深いことに、ソ連がボストーク1号の打ち上げを成功させてから20年後の同じ日なんですね。

そのため、この日はアメリカにとっても宇宙旅行の重要な日になるわけです。

スペースシャトルの特徴は、何度も再利用可能な点にあります。

全体のコストを抑えるために、推進装置や制御装置などの主要部分を再利用する設計がされていました。

ですが、実際にはコスト削減効果は限定的だったようで、スペースシャトルの運用は2011年7月に終了となり、アトランティス号が最後の飛行を行いました。

運用期間中、スペースシャトルはハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げや修理、国際宇宙ステーションの建設資材や物資の輸送など、多岐にわたって重要な役割を果たしました。

以上のように、アメリカは宇宙の探索において、技術革新と挑戦の歴史を刻んできました。

アメリカ合衆国において、「世界宇宙飛行の日」の受け止め方は多少複雑なものがあるようですが、4月12日が宇宙探査の重要な節目として認識されているのは変わりないようです。

日本にとっての4月12日は?

実は、4月12日は、日本にとっても宇宙開発に関連する重要な日です。

1955年のこの日に、東京国分寺で日本初のロケット実験が行われました。

この実験は、日本の宇宙開発の父とも称される糸川英夫博士らによって実施されました。

糸川博士は元々飛行機の技術者でしたが、戦後の状況下で飛行機の研究が禁止されたため、脳波の診断器の研究に取り組んでいました。

その後、アメリカ・シカゴ大学で講義を行う機会を得て、そこで「スペース・メディスン」という分野に出会い、宇宙への興味を深めます。

この経験がきっかけとなり、帰国後には限られた資源の中でも、ロケットの研究に着手しました。

この初期の努力は、後の日本の宇宙技術の発展に大きな影響を与えています。

現在、日本は世界トップクラスのロケット技術を持ち、小惑星探査機「はやぶさ」のような先進的な宇宙ミッションや、気象衛星「ひまわり」による防災への貢献など、宇宙開発において多くの成果を上げています。

これらは全て、糸川博士をはじめとする先人たちの情熱と努力の結果であり、私たちの生活を豊かにしています。

まとめ

4月12日は「世界宇宙旅行の日」として、宇宙開発の歴史において重要な日となっています。

旧ソ連のガガーリンの宇宙遊泳から、アメリカのスペースシャトル計画、そして日本の宇宙技術の発展という、各国の宇宙探査の貢献を象徴しています。

世界各地で4月12日にお祝いのセレモニーが行われ、日本でもこの日に合わせて科学館などで様々なイベントが開催されることがあります。

興味がある方は、開催情報をチェックしてみると良いでしょう。

宇宙はまだまだ謎に満ちていて身近なものとはいえないですが、現在は、民間でも宇宙旅行が現実のものとなり、宇宙への関心が一層高まっています。

世界宇宙旅行の日は、そんな宇宙に思いをはせる良い機会になると思います。