ラフマニノフは、ロシアのクラシックの大作曲家の1人として知られています。

私が最も大好きな作曲家です。

ラフマニノフは作曲家としてだけでなく、卓越した技術を持つピアニストとしても有名でした。

そして、ピアノの優れた技巧には、ラフマニノフ特有の身体の特徴が影響していたと考えられます。

それは、何かと言うと。

ラフマニノフの手が、とても大きかったということです。

では、どのくらい大きかったのか?

今回は、ラフマニノフの手の大きさについて、詳しく説明していきます。

ラフマニノフの手の大きさはどれくらい?

ラフマニノフの手の大きさは約30センチメートルあったと言われています。

日本人の一般の成人男性の手の大きさは、18センチメートルくらいです。
それと比較すると、とんでもなくデカいのが分かります。

どれくらいの大きさなのか、
イメージしやすいもので例えると、

  • 一般的な日本人男性の手の大きさ:卓球のラケットくらい(約16cm)
  • ラフマニノフの手の大きさ:テニスのラケットの網目の横幅くらい(約30cm)

となります。

スポーツで例えてみましたが、そもそも競技が違います(笑)
仮に競技が同じだとしても、階級別にしないといけないレベルですね。

では、なぜラフマニノフはこんなに手が大きかったのかと言うと。

単純な話ですが、ラフマニノフは背が高かったからです。

ラフマニノフの身長は約198センチメートルあったと言われています。

もちろん、そのように伝わっているだけで、正確なことは分かりませんが、身長は2メートル近くあり、手の大きさも約30センチメートルあったのは確かなようです。

私がラフマニノフという作曲家を初めて知ったのは、今から30年以上前のことですが、その時は身長は2メートル以上あったというのをどこかで読んだ記憶があります。
もしかしたら、記憶違いの可能性もありますが…

現在は2メートル近くというのが定着しており、色々なデータをもとにして、より精密に計算した結果のようです。

いずれにせよ、それだけ背が高かったので、手も大きかったというわけですね。

ラフマニノフは手が大きかったので、ピアノでは13度届いたというのも有名な話です。

13度とは、ドから始まって1オクターブ上のラまでの間隔です。
すなわち、ピアノの白い鍵盤の「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ」まで届いたということになります。

ただ、ピアノの度数の話になると、どれくらい凄いのか分かりにくいかもしれませんね。

正確な統計があるわけではないですが、日本人のピアノ奏者の平均は、おそらく8度か9度くらいだと思います。
「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・(レ)」までの範囲なら、届くかなと思います。

私はわりと手は大きい方ですが、ギリギリで10度というところです。

なので、13度となると、とんでもなく広い間隔になります。

ピアノの13度の範囲

何度かピアノの鍵盤で13度まで届かせようとしましたが、とてもじゃないですが、無理でした。
実際にピアノで手を広げると、13度がどれだけ凄いかが分かるかと思います。

ちなみに、リストも13度届いたという話があります。
リストが超絶技巧を駆使してピアノを演奏していたので、「指が6本ある」という噂がまことしやかに広まったくらいです。

リストの身長は約184センチメートルあったと伝わっています。
背が高いのは事実ですが、ラフマニノフに比べると、その差は大きくなります。

それでも、リストが13度まで届いたのは、リストの努力のたまものだったようです。
小さいころから指を大きく開く練習を重ね、13度まで届くようになったと言われています。

ラフマニノフの手の特徴が偉大なる作曲家として大きく作用した?

ラフマニノフの手が大きいということは、今までの説明でご理解いただけたと思います。

ですが、ラフマニノフは手が大きいだけでなく、手と指がかなり柔らかかったそうです。
しかも、身長のわりには痩せ型だったので、指先も細い。

そのため、ピアノを演奏するときは、ダイナミックに、かつなめらかに弾くことができたようです。

このラフマニノフの手の特徴は、彼の作曲した楽曲に活かされているとも言えます。

ラフマニノフの楽曲は、ピアノの難曲が多く、かなりの技巧が必要とされるものも数多くあります。

例えば、ラフマニノフの代表作で最も有名な曲の1つである、ピアノ協奏曲第2番
冒頭はピアノのソロで、「ダ~ン、ダ~ン、ダ~ン~」というメロディから始まります。

※参考「ピアノ協奏曲第2番」第1楽章

ところが、この出だしは10度の音程があり、左手1つで押さえないといけません。

これがかなり大変でして(汗)
人によっては、届かないということもあります。

そのため、手の小さなピアニストだと、この10度の部分を分けて弾くこともあるんです。

正直な話、ラフマニノフが楽譜に書いている基準が、そもそも一般のピアニストとは違いすぎるんですね。
そりゃあ、ラフマニノフなら簡単に届くんでしょうけど…

なので、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、ピアニスト泣かせの曲だということです。

ピアノ協奏曲第2番にかぎらず、ラフマニノフの楽曲は弾くのが難しい曲が多いです。
ピアノ協奏曲第3番ピアノソナタ2番などは、もっと難しい曲として知られています。

コンチェルト3番、ソナタ2番などは、たとえ弾けたとしても、よほど素晴らしい演奏でないと、聴いている人の心に響かないと思います。

ラフマニノフなら、これらの曲であっても、ダイナミックに、きめ細やかに弾くことができたというわけです。

まとめ

ラフマニノフは背が高く、手も大きかったのは事実です。
実際に見た人たちも、そう言ってますしね。

ラフマニノフはマルファン症候群という病気であったという話もありますが、この辺の真偽はよく分かっていません。

事実はどうであれ、ラフマニノフはピアノの演奏で、自身の身体的特徴を活かしたと言えるでしょう。

また、幼少の頃の悲しい体験や、交響曲第1番の初演の歴史的な大失敗で重度のうつになったとも言われますが。

一方で、そういった経験も作曲に活かされ、ラフマニノフ特有のメランコリックでロマンチックな名曲が生まれたと思うところがあります。