国民栄誉賞 受賞者一覧
表彰年月日 | 受賞者氏名 | 受賞時の年齢 | 職業 | 授与時の内閣 | |
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1977年9月5日 | 1 | 王貞治 | 37歳 | プロ野球選手 | 福田赳夫内閣 |
1978年8月4日 | 2 | 古賀政男 | 満73歳没後 | 作曲家 | 福田赳夫改造内閣 |
1984年4月19日 | 3 | 長谷川一夫 | 満76歳没後 | 俳優 | 第2次中曽根康弘内閣 |
4 | 植村直己 | 満43歳没後 | 冒険家 | ||
1984年10月9日 | 5 | 山下泰裕 | 27歳 | 柔道選手 | |
1987年6月22日 | 6 | 衣笠祥雄 | 40歳 | プロ野球選手 | 第3次中曽根康弘内閣 |
1989年7月6日 | 7 | 美空ひばり | 満52歳没 | 歌手 | 宇野宗佑内閣 |
1989年9月29日 | 8 | 千代の富士 | 34歳 | 大相撲力士 | 第1次海部俊樹内閣 |
1992年5月28日 | 9 | 藤山一郎 | 81歳 | 歌手 | 宮澤喜一内閣 |
1993年2月26日 | 10 | 長谷川町子 | 満72歳没後 | 漫画家 | |
1993年2月26日 | 11 | 服部良一 | 満85歳没後 | 作曲家 | 宮澤喜一改造内閣 |
1996年9月3日 | 12 | 渥美清 | 満68歳没後 | 俳優 | 第1次橋本龍太郎内閣 |
1998年7月7日 | 13 | 吉田正 | 満77歳没後 | 作曲家 | 第2次橋本龍太郎内閣 |
1998年10月1日 | 14 | 黒澤明 | 満88歳没後 | 映画監督 | 小渕恵三内閣 |
2000年10月30日 | 15 | 高橋尚子 | 28歳 | 女子マラソン選手 | 第2次森喜朗内閣 |
2009年1月23日 | 16 | 遠藤実 | 満76歳没後 | 作曲家 | 麻生太郎内閣 |
2009年7月1日 | 17 | 森光子 | 89歳 | 女優 | |
2009年12月22日 | 18 | 森繁久彌 | 満96歳没後 | 俳優 | 鳩山由紀夫内閣 |
2011年8月18日 | 19 | なでしこジャパン (女子ワールドカップ日本代表) |
女子サッカーチーム | 菅直人第2次改造内閣 | |
2012年11月7日 | 20 | 吉田沙保里 | 30歳 | 女子レスリング選手 | 野田佳彦第3次改造内閣 |
2013年2月25日 | 21 | 大鵬幸喜 | 満72歳没後 | 大相撲力士 | 第2次安倍晋三内閣 |
2013年5月5日 | 22 | 長嶋茂雄 | 77歳 | プロ野球選手 | |
23 | 松井秀喜 | 38歳 | プロ野球選手 | ||
2016年10月20日 | 24 | 伊調馨 | 32歳 | 女子レスリング選手 | 第3次安倍晋三第2次改造内閣 |
2018年2月13日 | 25 | 羽生善治 | 47歳 | 将棋棋士 | 第4次安倍晋三内閣 |
26 | 井山裕太 | 28歳 | 囲碁棋士 | ||
2018年7月2日 | 27 | 羽生結弦 | 32歳 | フィギュアスケート選手 |
国民栄誉賞 辞退者一覧
福本豊
- 職業:プロ野球選手
- 賞の打診時の年:1985年
- 当時の本人の年齢:38歳
- 当時の内閣:第2次中曽根内閣第1次改造内閣
辞退理由
1983年6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成し、国民栄誉賞の授与を打診されました。
福本豊さんが辞退した理由について、当時のニュースなどでの報道では「気軽に呑み屋に行けなくなる」とされました。
後に、「ボクには王さんのように野球人の手本になれる自信がなかった。野球で記録を作るだけでなく、広く国民に敬愛されるような人物でないといけないという、当時のボクなりの解釈があったんです」と福本さん自身が述懐しています。
古関裕而
- 職業:作曲家
- 賞の打診時の年:1989年
- 打診時の本人の年齢:満80歳没後
- 当時の内閣:第1次海部俊樹内閣
辞退理由
古関裕而氏の長男の正裕さんの話によると、「元気に活動している時ならともかく亡くなったあとに授与することに意味があるのか」という疑問を持ったとのこと。
そのため、正裕さんが古関裕而氏の国民栄誉賞の授与を丁重に辞退したそうです。
イチロー
- 職業:プロ野球選手
- 賞の打診時の年:2001年/2004年/2019年
- 打診時の本人の年齢:27歳/30歳/45歳
- 当時の内閣:第1次・第2次小泉純一郎内閣/第4次安倍晋三内閣
辞退理由
- 2001年:「まだ若いので、できれば辞退したい。いただけるものなら、野球人生が終わったときにいただけるよう頑張りたい」
- 2004年:「プレーを続けている間はもらう立場にはない。野球生活を終え、本当にやり切った時に、もしいただけるならば大変ありがたい」
- 2019年:「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」
と、コメントを発表しています。
2019年の12月に4度目の授与の打診があったとみられていますが、このときも辞退した模様です。