歴代の日本人のノーベル賞受賞者をまとめました。

詳しいエピソードの紹介もしています。

日本人の歴代ノーベル賞受賞者 一覧表

受賞年 氏名 分野
1949年 湯川秀樹 物理学賞
1965年 朝永振一郎 物理学賞
1968年 川端康成 文学賞
1973年 江崎玲於奈 物理学賞
1974年 佐藤栄作 平和賞
1981年 福井謙一 化学賞
1987年 利根川進 医学・生理学賞
1994年 大江健三郎 文学賞
2000年 白川英樹 化学賞
2001年 野依良治 化学賞
2002年 田中耕一 化学賞
小柴昌俊 物理学賞
2008年 下村脩 化学賞
小林誠 物理学賞
益川敏英 物理学賞
南部陽一郎
(※国籍はアメリカ)
物理学賞
2010年 鈴木章 化学賞
根岸英一 化学賞
2014年 赤崎勇 物理学賞
天野浩 物理学賞
中村修二
(※国籍はアメリカ)
物理学賞
2015年 大村智 医学・生理学賞
梶田隆章 物理学賞
2016年 大隅良典 医学・生理学賞
2018年 本庶佑 医学・生理学賞
2019年 吉野彰 化学賞

日本人のノーベル賞受賞者 詳細情報

吉野彰(よしの あきら)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2019年
  • 生年月日:1948年1月30日
  • 出身地:大阪府
  • 出身校:京都大学工学部

リチウムイオン二次電池の発明により、ノーベル化学賞を受賞しました。

大学院修士課程を終えたあとは、大学での研究ではなく、旭化成に入社し企業での研究開発の道を進むことになります。

そこでノーベル化学賞に至る大きな功績を残りました。

現在も旭化成の名誉フェローに就任しています。

本庶佑(ほんじょ たすく)

  • 受賞分野:医学・生理学賞
  • 受賞年:2018年
  • 生年月日:1942年1月27日
  • 出身地:京都府
  • 出身校:京都大学医学部

免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用により、アメリカ合衆国のジェームズ・P・アリソン氏と共に、ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

大隅良典(おおすみ よしのり)

  • 受賞分野:医学・生理学賞
  • 受賞年:2016年
  • 生年月日:1945年2月9日
  • 出身地:福岡県
  • 出身校:東京大学教養学部

オートファジーの仕組みの解明により、ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

梶田隆章(かじた たかあき)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2015年
  • 生年月日:1959年3月9日
  • 出身地:埼玉県
  • 出身校:埼玉大学理学部

ニュートリノ振動の発見により、カナダのアーサー・B・マクドナルド氏共に、ノーベル物理学賞を受賞しました。

大村智(おおむら さとし)

  • 受賞分野:医学・生理学賞
  • 受賞年:2015年
  • 生年月日:1935年7月12日
  • 出身地:山梨県
  • 出身校:山梨大学学芸学部

線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見により、アイルランドのウィリアム・キャンベル氏と共にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

赤崎勇(あかさき いさむ)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2014年
  • 生年月日:1929年1月30日
  • 出身地:鹿児島県
  • 出身校:京都大学理学部

高輝度青色発光ダイオードの発明により、天野浩氏、中村修二氏と共にノーベル物理学賞を受賞しました。

天野浩(あまの ひろし)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2014年
  • 生年月日:1960年9月11日
  • 出身地:静岡県
  • 出身校:名古屋大学工学部

高輝度青色発光ダイオードの発明により、赤崎勇氏、中村修二氏と共にノーベル物理学賞を受賞しました。

中村修二(なかむら しゅうじ)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2014年
  • 生年月日:1954年5月22日
  • 出身地:愛媛県
  • 出身校:徳島大学工学部

高輝度青色発光ダイオードの発明により、赤崎勇氏、天野浩氏と共にノーベル物理学賞を受賞しました。

山中伸弥(やまなか しんや)

  • 受賞分野:医学・生理学賞
  • 受賞年:2012年
  • 生年月日:1962年9月4日
  • 出身地:大阪府
  • 出身校:神戸大学医学部

成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見により、イギリスのジョン・ガードン氏と共に、ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

鈴木章(すずき あきら)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2010年
  • 生年月日:1930年9月12日
  • 出身地:北海道
  • 出身校:北海道大学理学部

有機合成の中でパラジウム触媒を用いたクロスカップリングの開発により、根岸英一氏とアメリカ合衆国のリチャード・ヘック氏と共にノーベル化学賞を受賞しました。

根岸英一(ねぎし えいいち)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2010年
  • 生年月日:1935年7月14日
  • 出身地:満州国
  • 出身校:東京大学工学部

有機合成の中でパラジウム触媒を用いたクロスカップリングの開発により、鈴木章氏とアメリカ合衆国のリチャード・ヘック氏と共にノーベル化学賞を受賞しました。

益川敏英(ますかわ としひで)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2008年
  • 生年月日:1940年2月7日
  • 出身地:愛知県
  • 出身校:名古屋大学理学部

クォークが自然界に少なくとも三世代以上ある事を予言する、CP対称性の破れの起源の発見(小林・益川理論)により、小林誠氏と共にノーベル物理学賞を受賞しました。

ノーベル賞受賞が決定しても、「我々は科学をやっているのであってノーベル賞を目標にやってきたのではない」と述べたことは有名で、純粋に学問を追求する科学者としての姿勢が注目されました。

一方で、同じ年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎氏を尊敬しており、南部氏がノーベル賞を受賞したことが一番うれしいという発言をしています。

小林誠(こばやし まこと)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2008年
  • 生年月日:1944年4月7日
  • 出身地:愛知県
  • 出身校:名古屋大学理学部

クォークが自然界に少なくとも三世代以上ある事を予言する、CP対称性の破れの起源の発見(小林・益川理論)により、益川敏英氏と共にノーベル物理学賞を受賞しました。

南部陽一郎(なんぶ よういちろう)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2008年
  • 生年月日:1944年4月7日
  • 没年月日:2015年7月5日
  • 出身地:東京府
  • 出身校:東京帝国大学理学部

素粒子物理学および原子核物理学における自発的対称性の破れの機構の発見により、ノーベル物理学賞を受賞しました。

下村脩(しもむら おさむ)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2008年
  • 生年月日:1928年8月27日
  • 没年月日:2018年10月19日
  • 出身地:長崎県
  • 出身校:長崎医科大学附属薬学専門部

緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と開発により、アメリカ合衆国のマーティン・チャルフィー氏とロジャー・Y・チエン氏と共に、ノーベル化学賞を受賞しました。

田中耕一(たなか こういち)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2002年
  • 生年月日:1959年8月3日
  • 出身地:富山県
  • 出身校:東北大学工学部

生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発により、ノーベル化学賞を受賞しました。

現役サラリーマンとして初のノーベル賞を受賞したことで、とても有名です。

勤めている会社から電話でノーベル賞の受賞を聞かされ、自身が受賞するものとは全く思っていなかったので、ご本人はドッキリだと思ったそうです。

ノーベル賞の受賞が決定したとき、すでにドイツのフランツ・ヒレンカンプ氏とミヒャエル・カラス氏にが英語論文を発表しており、この2人が受賞すべきではないかという疑問があったそうです。

ですが、論文の中で田中氏の学会発表を参考にしたことが明かされており、そのため、田中氏の功績の方が早いと判断され、ノーベル賞受賞に至りました。

小柴昌俊(こしば まさとし)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:2002年
  • 生年月日:1926年9月19日
  • 出身地:愛知県
  • 出身校:東京大学理学部

天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対する先駆的貢献により、アメリカ合衆国のレイモンド・デービス氏と共に、ノーベル物理学賞を受賞しました。

野依良治(のより りょうじ)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2001年
  • 生年月日:1938年9月3日
  • 出身地:兵庫県
  • 出身校:京都大学工学部

不斉触媒による酸化反応の研究により、アメリカ合衆国のウィリアム・ノールズ氏とバリー・シャープレス氏と共に、ノーベル化学賞を受賞しました。

白川英樹(しらかわ ひでき)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:2000年
  • 生年月日:1936年8月20日
  • 出身地:東京府
  • 出身校:東京工業大学

導電性高分子の発見と開発により、アメリカ合衆国のアラン・ヒーガー氏とアラン・マクダイアミッド氏と共に、ノーベル化学賞を受賞しました。

大江健三郎(おおえ けんざぶろう)

  • 受賞分野:文学賞
  • 受賞年:1994年
  • 生年月日:1935年1月31日
  • 出身地:愛媛県
  • 出身校:東京大学教養学部

現実と虚構が一体となった世界を創作し、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにした表現力が高く評価され、ノーベル文学賞を受賞しました。、

利根川進(とねがわ すすむ)

  • 受賞分野:医学・生理学賞
  • 受賞年:1987年
  • 生年月日:1939年9月5日
  • 出身地:愛知県
  • 出身校:京都大学理学部

抗体の多様性に関する遺伝的原理の発見により、ノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

福井謙一(ふくい けんいち)

  • 受賞分野:化学賞
  • 受賞年:1981年
  • 生年月日:1918年10月4日
  • 没年月日:1998年1月9日
  • 出身地:奈良県→大阪府
  • 出身校:京都帝国大学工学部

化学反応過程の理論的研究により、アメリカ合衆国のロアルド・ホフマン氏と共に、ノーベル化学賞を受賞しました。

福井謙一氏には、次のような逸話があります。

福井氏のお弟子さんが講演で実験を行ったときのことですが、実験の結果が予想通りにいきませんでした。

お弟子さんは「本当は、このような結果にはならないのですが。」と困惑して語りましたが…

講演が終わった後で、これを聴いていた福井氏は、お弟子さんを叱ったそうです。

というのも、実験の結果といえども、自然の摂理や因果法則から外れるものではなく、その結果が真実であることには変わりはないからということでした。

それを自分の想定した結果と違ったからといって、本当でないというのは、科学者の驕りでもあると。

常に自然に対して謙虚に真摯に向き合うのが、科学者の本来の姿であるという信念を持っていたとされています。

佐藤栄作(さとう えいさく)

  • 受賞分野:平和賞
  • 受賞年:1974年
  • 生年月日:1901年3月27日
  • 没年月日:1975年6月3日
  • 出身地:山口県
  • 出身校:東京帝国大学法学部

言わずと知れた、第61~63代・内閣総理大臣。

安倍晋三首相が連続在任記録1位となる前は、佐藤栄作氏がその記録を保持していました。

首相時に、日韓基本条約批准、非核三原則提唱、日本への沖縄返還など大きな功績を残しています。

このうち、非核三原則は「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」というもので、日本の国是となっています。

この非核三原則の提唱により、ノーベル平和賞を受賞しました。

2020年現在で、日本人唯一のノーベル平和賞受賞者です。

ちなみに、佐藤栄作氏の大甥が安倍晋三元首相であり、安倍晋三氏の祖父の岸信介元首相の弟が佐藤栄作氏という関係になります。

江崎玲於奈(えさき れおな)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:1973年
  • 生年月日:1925年3月12日
  • 出身地:大阪府
  • 出身校:東京帝国大学理学部

半導体内および超伝導体内の各々におけるトンネル効果の実験的発見により、アメリカ合衆国の アイヴァー・ジェーバー氏と共に、ノーベル物理学賞を受賞しました。

川端康成(かわばた やすなり)

  • 受賞分野:文学賞
  • 受賞年:1968年
  • 生年月日:1899年6月14日
  • 没年月日:1972年4月16日
  • 出身地:大阪府
  • 出身校:東京帝国大学文学部

日本人の心の精髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えた功績により、ノーベル文学賞を受賞しました。

朝永振一郎(ともなが しんいちろう)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:1965年
  • 生年月日:1906年3月31日
  • 没年月日:1979年7月8日
  • 出身地:東京府
  • 出身校:京都帝国大学理学部

量子電磁力学の分野における基礎研究と素粒子物理学についての深い結論の功績により、アメリカ合衆国のジュリアン・シュウィンガー氏とリチャード・P・ファインマン氏と共に、ノーベル物理学賞を受賞しました。

湯川秀樹氏とは同期でライバルでもありました。

ノーベル賞を日本人が最初に受賞するとするとしたら、湯川氏ではなく朝永氏という声もあったそうです。

日本人最初のノーベル賞受賞者は湯川氏でしたが、その16年後に晴れて日本人二人目のノーベル賞受賞者となりました。

湯川秀樹(ゆかわ ひでき)

  • 受賞分野:物理学賞
  • 受賞年:1949年
  • 生年月日:1907年1月23日
  • 没年月日:1981年9月8日
  • 出身地:東京府
  • 出身校:京都帝国大学理学部

日本人初めてのノーベル賞受賞者。

核力の理論的研究に基づく中間子の存在の予想により、ノーベル物理学賞を受賞しました。

終戦からまだ間もなく、日本がまだ混乱していた頃であったため、自信を失っていた日本国民を勇気づける出来事でした。

あと、どうてもいいこぼれ話となりますが。

湯川秀樹氏にお見合いの話が持ち込まれたとき、結婚する気もなく、全く興味がなかったようです。

ところが、お見合い相手の湯川スミ氏の写真を見ると、とても美人だったので、気が変わってお見合いをし、そのまま結婚したという話があります。

ちなみに、湯川秀樹氏の旧姓は小川で、結婚も湯川家の婿養子となるものでした。