日本の歴代の天皇陛下を表にして一覧にまとめました。

生年月日と死去年月日、在位期間は宮内庁の公式発表と日本書紀を参考にしています。

そのため、没年齢は現代より前(明治天皇より前)の天皇は数え年表記となります。

また、女性天皇は赤字で表記しています。

天皇
(よみ)
在位期間 生年月日~没年月日/没年 備考・エピソード
初代 神代 神武天皇
(じんむ)
前660~前585 庚午年1月1日~神武天皇76年3月11日(127歳没) 高千穂から東征し、畝傍山周辺に大和朝廷を創始したとされる
2代 綏靖天皇
(すいぜい)
前581~前549 神武天皇29年~綏靖天皇33年5月10日(84歳没) 神武天皇の第三皇子
葛城高丘宮に都を移したとされる
3代 安寧天皇
(あんねい)
前549~前511 綏靖天皇5年~安寧天皇38年12月6日(67歳没) 綏靖天皇の第一皇子
片塩浮孔宮に都を移したとされる
4代 懿徳天皇
(いとく)
前510~前477 綏靖天皇29年~懿徳天皇34年9月8日(77歳没) 安寧天皇の第二皇子
軽之境岡宮に都を移したとされる
5代 孝昭天皇
(こうしょう)
前475~前393 懿徳天皇5年~孝昭天皇83年8月5日(114歳没) 懿徳天皇の第一皇子
掖上池心宮に都を移したとされる
6代 孝安天皇
(こうあん)
前392~前291 孝昭天皇49年~孝安天皇102年1月9日(137歳没) 孝昭天皇の第二皇子
室秋津島宮に都を移したとされる
7代 孝霊天皇
(こうれい)
前290~前215 孝安天皇51年~孝霊天皇76年2月8日(128歳没) 黒田廬戸宮に都を移したとされる
8代 孝元天皇
(こうげん)
前214~前158 孝霊天皇18年~孝元天皇57年9月2日(116歳没) 軽の境原宮に都を移したとされる
9代 開化天皇
(かいか)
前158~前98 孝元天皇7年~開化天皇60年4月9日(111歳没) 孝元天皇の第二皇子
春日の率川宮に都を移したとされる
10代 崇神天皇
(すじん)
前97~前30 開化天皇10年~崇神天皇68年12月5日(119歳没) 開化天皇の第二皇子
戸口を調査して初めて課役を科したとされる
11代 垂仁天皇
(すいにん)
前29~後70 崇神天皇29年1月1日~垂仁天皇99年7月14日(139歳没) 治世中に皇后の兄の狭穂彦の謀反にあう
伊勢神宮の建立に関わるなど様々な起源伝承がある
12代 景行天皇
(けいこう)
71~130 垂仁天皇17年~景行天皇60年11月7日(143歳没) 日本武尊(ヤマトタケル)の父として有名
日本武尊に命じて熊襲や蝦夷の平定を行ったとされる
13代 成務天皇
(せいむ)
131~190 景行天皇14年~成務天皇60年6月11日(107歳没) 景行天皇の第四皇子
日本で初めて行政区画を定めたとされる
14代 仲哀天皇
(ちゅうあい)
192~200 成務天皇18年?~仲哀天皇9年2月6日(53歳?没) 日本武尊の息子で神功皇后の夫としても有名
神託を無視したため熊襲に敗れて急死したとされる
15代 応神天皇
(おうじん)
270~310 仲哀天皇9年12月14日~応神天皇41年2月15日(111歳没) 八幡神としても有名
新羅からの渡来人の受け入れを行ったとされる
16代 古墳時代 仁徳天皇
(にんとく)
313~399 神功皇后57年~仁徳天皇87年1月16日(143歳没) 民衆のかまどの煙がないのを見て彼らの貧しさを知る
そのため民衆の課税を免除した逸話は有名
17代 履中天皇
(りちゅう)
400~405 仁徳天皇24年?~履中天皇6年3月15日(70歳没) 仁徳天皇の第一皇子
国史や内蔵の制度を整えたとされる
18代 天皇
(はんぜい)
406~410 仁徳天皇24年?~反正天皇5年1月23日(75歳?没) 履中天皇の弟で初の兄弟継承
叛乱を起こした住吉仲皇子をその近習を利用して誅殺したとされる
19代 允恭天皇
(いんぎょう)
412~453 仁徳天皇64年?~允恭天皇42年1月14日(78歳没) 仁徳天皇の第四皇子で履中・反正天皇の弟
盟神探湯(くがたち)を行って氏姓制度を定めたとされる
20代 安康天皇
(あんこう)
453~456 履中天皇2年?~安康天皇3年8月9日(56歳没) 允恭天皇の第二皇子
皇后の中蒂姫の連れ子の眉輪王に暗殺されてしまう
21代 雄略天皇
(ゆうりゃく)
456~479 允恭天皇7年12月~雄略天皇23年8月7日(62歳没) 安康天皇の弟で自身の皇位継承のため多くの親族を殺害したとされる
天皇を中心とする中央集権体制を強力に推し進めたと考えられている
22代 清寧天皇
(せいねい)
480~484 允恭天皇33年?~清寧天皇5年1月16日(41歳?没) 雄略天皇の第三皇子
生来白髪であったとされ「白髪」という諱がある
23代 顯宗天皇
(けんぞう)
485~487 允恭天皇39年~顕宗天皇3年4月25日(38歳没) 履中天皇の孫(履中天皇の長子の第3子)
自身の苦労から民衆を愛する政治を行ったと伝えられる
24代 仁賢天皇
(にんけん)
488~498 允恭天皇38年~仁賢天皇11年8月8日(50歳没) 履中天皇の孫で顯宗天皇の兄
治世がよく民衆からも評判がよかったとされる
25代 武烈天皇
(ぶれつ)
498~506 仁賢天皇2年~武烈天皇8年12月8日(18歳没) 仁賢天皇の息子
非道な暴君としての記述が残っているが実際は不明
26代 継体天皇
(けいたい)
507~531 450年?~531年3月10日?(82歳?没) 応神天皇の五世孫
百済からの救援要請によく応じ「磐井の乱」などに出会う
27代 安閑天皇
(あんかん)
531~535 466年?~536年1月25日?(70歳?没) 継体天皇の長子
皇后は仁賢天皇の皇女
28代 宣化天皇
(せんか)
535~539 466年?~536年1月25日?(70歳?没) 継体天皇の第二子で安閑天皇の弟
蘇我稲目が大臣となり、その後の蘇我氏の勢力拡大の基盤となる
29代 欽明天皇
(きんめい)
539~571 509年?~571年5月24日?(63歳没) 継体天皇の嫡男
在位中に百済から仏教が伝来し、任那が滅亡
蘇我氏と物部氏の争いがおこる
30代 敏達天皇
(びだつ)
572~585 538年?~585年9月14日?(48歳?没) 欽明天皇の第二皇子
物部守屋の計らいにより仏教禁止令を発令
31代 用明天皇
(ようめい)
585~587 540年?~587年5月21日?(48歳?没) 欽明天皇の第四皇子で厩戸皇子(聖徳太子)の父
崇仏派で仏教を公認し、その後の仏教興隆へとつながる
32代 崇峻天皇
(すしゅん)
587~592 553年?~592年12月12日(40歳?没) 欽明天皇の第12皇子
蘇我馬子が物部守屋を滅ぼし物部氏は没落
崇峻天皇自身もまた蘇我馬子に暗殺されてしまう
33代 飛鳥時代 推古天皇
(すいこ)
592~628 554年~628年4月15日(75歳没) 初の女性天皇
欽明天皇の皇女、用明天皇の弟、崇峻天皇の姉
厩戸皇子(聖徳太子)と協力して冠位十二階、十七条憲法、遣隋使派遣など業績多数
34代 舒明天皇
(じょめい)
629~641 593年~641年11月17日(49歳?没) 敏達天皇の孫
在位中に初めて遣唐使が派遣される
35代 皇極天皇
(こうぎょく)
642~645 594年~661年8月24日(68歳没) 敏達天皇のひ孫で舒名天皇の皇后
即位中に大化の改新が勃発
その後初めて譲位をしたことで知られる
36代 孝徳天皇
(こうとく)
645~654 596年~654年11月24日(59歳没) 敏達天皇のひ孫で皇極天皇の弟
大化の改新により即位
難波長柄豊碕に都を移す
37代 斉明天皇
(さいめい)
655~661 皇極天皇が再び即位し斉明天皇となる
百済救援のため唐・新羅と交戦
38代 天智天皇
(てんじ)
668~671 626年~672年1月7日(46歳没) 舒明天皇の第二皇子で母は皇極(斉明)天皇
中大兄皇子として乙巳の変、大化の改新を行ったことは有名
近江大津宮へ遷都
百済の復興を図って白村江の戦いを起こすも敗戦
39代 弘文天皇
(こうぶん)
671~672 648年~672年8月21日(25歳没) 天智天皇の第一皇子
壬申の乱で叔父の大海人皇子に敗北して自害
40代 天武天皇
(てんむ)
690~697 631年?~686年10月1日(56歳?没) 天智天皇の弟の勝者大海人皇子が壬申の乱で勝利して即位。
『日本書紀』と『古事記』の編纂や律令制度制定に着手
「天皇」を自称し「日本」を国号とした最初の天皇という説もある
41代 持統天皇
(じとう)
655~661 645年~703年1月13日(58歳没) 天智天皇の皇女で天武天皇の皇后
天武天皇の政策を引き継ぎ、藤原宮に遷都し律令制度を整備した
42代 文武天皇
(もんむ)
697~707 683年~707年7月18日(25歳没) 天武天皇の孫
在位中に大宝律令が完成
43代 奈良時代 元明天皇
(げんめい)
707~715 661年~721年12月29日(61歳没) 天智天皇の皇女
在位中に平城京へ遷都
『風土記』編纂の詔勅と『古事記』を完成
和同開珎の鋳造など
44代 元正天皇
(げんしょう)
715~724 680年~748年5月22日(69歳没) 元明天皇の皇女
在位中に養老律令の編纂に着手
『日本書紀』が完成
45代 聖武天皇
(しょうむ)
724~749 701年~756年6月4日(56歳没) 文武天皇の第一皇子
仏教に深く帰依し、在位中に国分寺、東大寺建立
墾田永年私財法を制定
46代 孝謙天皇
(こうけん)
749~758 718年~770年8月28日(53歳没) 聖武天皇の皇女
在位中に東大寺大仏開眼。養老律令を施行
唐の僧・鑑真が来日
47代 淳仁天皇
(じゅんにん)
758~764 733年~765年11月10日(33歳没) 天武天皇の孫
在位中に藤原仲麻呂の乱が失敗に終わる
仲麻呂と関係が深かったことで廃位され淡路国に追放されるが逃亡中に死去
48代 称徳天皇
(しょうとく)
764~770 孝謙天皇が再び即位
在位中に弓削道鏡を法王にし、和気清麻呂を追放する
49代 光仁天皇
(こうにん)
770~781 709年11月18日~782年1月11日(73歳没) 天智天皇の孫
60歳で即位。歴代最高齢とされている
50代 平安時代 桓武天皇
(かんむ)
781~806 737年~806年4月9日(70歳没) 光仁天皇の第一王子
在位中に長岡京、平安京へ遷都
坂上田村麻呂を抜擢して蝦夷征討を敢行
比叡山延暦寺が創建される
51代 平城天皇
(へいぜい)
806~809 774年9月25日~824年8月5日(51歳没) 桓武天皇の第1皇子
即位当初は精力的に政治に取り組んだが、病弱ということもあり短期間で譲位
52代 嵯峨天皇
(さが)
809~823 786年10月3日~842年8月24日(57歳没) 桓武天皇の第2皇子
治世中に凶作が続いて財政難に陥る
大土地所有の制限を緩和し、荒田開発などを進めた
53代 淳和天皇
(じゅんな)
823~833 786年~840年6月11日(55歳没) 桓武天皇の第七皇子
歴代天皇の中で唯一散骨された
54代 仁明天皇
(にんみょう)
833~850 810年~850年5月6日(41歳没) 嵯峨天皇の第二皇子
自身が病弱だったこともあり、薬に詳しく医者並みの知識を持っていたとされる
55代 文德天皇
(もんとく)
850~858 827年~858年10月7日(32歳没) 仁明天皇の第一皇子
『続日本後紀』の編纂開始
56代 清和天皇
(せいわ)
858~876 850年5月10日~(881年1月7日(31歳没) 文徳天皇の第四皇子
子孫の多くは臣籍降下して清和源氏となる(後の武門の棟梁)
57代 陽成天皇
(ようぜい)
876~884 869年1月2日~949年10月23日(82歳没) 清和天皇の皇子
宮中殺人事件という異常事態がおこる
摂政の藤原基経との確執で政情が不安定になる
58代 光孝天皇
(こうこう)
884~887 830年~887年9月17日(58歳没) 仁明天皇の第三皇子
即位後も自分が炊事をして黒い煤の部屋をそのままにしておいたという逸話がある
59代 宇多天皇
(うだ)
887~897 867年6月10日~931年9月3日(65歳没) 光孝天皇の第七皇子であるが、臣籍降下を得て即位
50年以上ぶりの遣唐使の派遣を計画したが、菅原道真の提言で廃止
60代 醍醐天皇
(だいご)
897~930 885年2月6日~930年10月23日(46歳没) 臣籍降下していた源定省の長男・源維城として生まれる
昌泰の変で菅原道真を大宰府に左遷
その後疫病がはやり菅原道真の慰霊に努めた
61代 朱雀天皇
(すざく)
930~946 923年9月7日~952年9月6日(30歳没) 醍醐天皇の第十一皇子
治世中、天災や争乱が続く
平 将門の乱、藤原純友の乱が勃発
62代 村上天皇
(むらかみ)
946~967 926年7月14日~967年7月5日(42歳没) 醍醐天皇の第十四皇子
鶯宿梅(おうしゅくばい)の逸話で有名
63代 冷泉天皇
(れいぜい)
967~969 950年6月12日~1011年11月21日(62歳没) 村上天皇の第二皇子
皇太子の頃から気の悩みがあったとされる
64代 円融天皇
(えんゆう)
969~984 959年4月12日~991年3月1日(33歳没) 村上天皇の第五皇子
藤原氏の勢力争いに翻弄される
65代 花山天皇
(かざん)
984~986 968年11月29日~1008年3月17日(41歳没) 冷泉天皇の第一皇子
好色な性格で多くの女性と関係を持ってしまう
66代 一条天皇
(いちじょう)
986~1011 980年7月15日~1011年7月25日(32歳没) 円融天皇の第1皇子
藤原道長のもとで藤原氏の権勢が最盛期
清少納言や紫式部らによって平安女流文学が花開いた
67代 三条天皇
(さんじょう)
1011~1016 976年2月5日~1017年6月5日(42歳没) 冷泉天皇の第二皇子
藤原道長と対立
68代 後一条天皇
(ごいちじょう)
1016~1036 1008年10月12日~1036年5月15日(29歳没) 一条天皇の第二皇子
藤原道長が摂政となり権勢をふるった
69代 後朱雀天皇
(ごすざく)
1036~1045 1009年12月14日~1045年2月7日(37歳没) 一条天皇の第三皇子で藤原道長の孫
荘園の増加によって深刻な財政難となる
70代 後冷泉天皇
(ごれいぜい)
1045~1068 1025年8月28日~1068年5月22日(44歳没) 後朱雀天皇の第一皇子で藤原道長の孫
前代と同じく荘園の増加によって国家財政が危機的状態に陥る
71代 後三条天皇
(ごさんじょう)
1068~1072 1034年9月3日~1073年6月15日(40歳没) 後朱雀天皇の第二皇子
荘園整理令により経済基盤を強化
「延久の善政」と称えられる
72代 白河天皇
(しらかわ)
1072~1086 1053年7月7日~1129年7月24日(77歳没) 後三条天皇の第一皇子
幼少の堀河天皇に譲位し上皇として院政を始めたことで有名
在位中に後三年の役が勃発
73代 堀河天皇
(ほりかわ)
1086~1107 1079年8月8日~1107年8月9日(29歳没) 白河天皇の第二皇子
誠実な人柄で人望も厚く、政治にも熱心に取り組む
白河院の院政が強まると和歌などの趣味の世界に浸った
74代 鳥羽天皇
(とば)
1107~1123 1103年2月24日~1156年7月20日(54歳没) 堀河天皇の皇子
白河法皇の院政が本格化
幼いころに大病を患い、生来病弱であったと言われる
75代 崇徳天皇
(すとく)
1123~1141 1119年7月7日~1164年9月14日(46歳没) 鳥羽天皇の第一皇子
退位後讃岐国へ配流される
死後に動乱が続いたため、怨霊伝説が残っている
76代 近衛天皇
(このえ)
1141~1155 1139年6月16日~1155年8月22日(17歳没) 鳥羽天皇の第九皇子
在位中は院政を敷いていた鳥羽上皇が実権を握っていた
77代 後白河天皇
(ごしらかわ)
1155~1158 1127年10月18日~1192年4月26日(66歳没) 鳥羽天皇の第四皇子
天皇在位中から院政時にかけて保元・平治の乱や治承・寿永の乱などが相次ぐ
院政時も鎌倉幕府との軋轢などに苦心する
暗君としての評価が強い
78代 二条天皇
(にじょう)
1158~1165 1143年7月31日~1165年9月5日(23歳没) 後白河天皇の第一皇子
在位中は父・後白河上皇との対立が続く
在位中に平治の乱が勃発
積極的に政務を取り仕切り公家社会を成立させる
父・後白河上皇とは対照的に賢帝との評価が強い
79代 六条天皇
(ろくじょう)
1165~1168 1164年12月28日~1176年8月23日(13歳没) 二条天皇の第二皇子
満7か月と11日で即位。歴代最年少
平清盛が太政大臣となる
80代 高倉天皇
(たかくら)
1168~1180 1161年9月23日~1181年1月30日(21歳没) 後白河天皇の第7皇子
平清盛の娘の徳子が皇后になり、平家の勢力が最盛期を迎える
81代 安徳天皇
(あんとく)
1180~1185 1178年12月22日~1185年4月25日(8歳没) 高倉天皇の第一皇子
在位中に平家が滅亡
満6歳4か月で崩御し歴代最年少
平時子(平清盛の正室)と神器と共に壇ノ浦で入水自殺する話は有名
82代 鎌倉時代 後鳥羽天皇
(ごとば)
1183~1198 1180年8月6日~1239年3月28日(60歳没) 高倉天皇の第四皇子
安徳天皇が退位しないまま即位したので在位期間が2年重複する
壇ノ浦で天叢雲剣だけが見つからず、神器なき即位となる
源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉幕府成立
鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げるが(承久の乱)敗れて隠岐に配流される
新古今和歌集の編纂開始
在位中に栄西が臨済宗をおこす
83代 土御門天皇
(つちみかど)
1198~1210 1196年1月3日~1231年11月6日(36歳没) 後鳥羽天皇の第一皇子
承久の乱の責任から自ら申し出て土佐国に流され、後に阿波国に移される
鎌倉幕府では源氏が滅亡し執権政治が始まる
在位中に新古今和歌集が成立
84代 順徳天皇
(じゅんとく)
1210~1221 1197年10月22日~1242年10月7日(46歳没) 後鳥羽天皇の第三皇子
天皇自身で『禁秘抄』を作成
承久の乱の後、佐渡へ配流される
在位中に鴨長明が『方丈記』を著す
85代 仲恭天皇
(ちゅうきょう)
1221~1221 1218年10月30日~1234年6月18日(17歳没) 順徳天皇の第四皇子
在位中に承久の乱がおこる
北条義時によって皇位を廃される
在位期間は約2ヶ月で歴代最短
86代 後堀河天皇
(ごほりかわ)
1221~1232 1212年3月22日~1234年8月31日(23歳没) 高倉天皇の孫
鎌倉幕府では北條泰時が執権を務める
87代 四条天皇
(しじょう)
1221~1232 1231年3月17日~1242年2月10日(12歳没) 後堀河天皇の第一皇子
外戚の九条家が実権を握る
在位中に御成敗式目が成立
88代 後嵯峨天皇
(ごさが)
1232~1246 1220年2月26日1272年2月17日(53歳没) 土御門天皇の皇子
皇太子を後深草上皇の皇子ではなく亀山天皇の皇子である世仁親王(後の後宇多天皇)にした
そのため、後の南北朝時代の波乱のきっかけを作ったとされる
89代 後深草天皇
(ごふかくさ)
1246~1259 1243年6月28日~1304年8月17日(62歳没) 後嵯峨天皇の皇子
後継問題で大覚寺統と持明院統に分立
在位中に日蓮が法華宗をおこす
90代 亀山天皇
(かめやま)
1259~1274 1249年7月9日~1305年10月4日(57歳没) 後嵯峨天皇の皇子で大覚寺統の祖
在位中に『金沢文庫』が成立したと考えられている
91代 後宇多天皇
(ごうだ)
1274~1287 1267年12月17日~1324年7月16日(58歳没) 亀山天皇の第二皇子
在位中に文永・弘安の役(元寇)がおこる
92代 伏見天皇
(ふしみ)
1287~1298 1265年5月10日~1317年10月8日(53歳没) 後深草天皇の第二皇子
朝廷の政治的権威の回復に積極的に取り組む
「書聖」と称されるほど達筆で知られる
93代 後伏見天皇
(ごふしみ)
1298~1301 1288年4月5日~1336年5月17日(49歳没) 伏見天皇の第一皇子
院政中に持明院統と大覚寺統から交互に天皇を出すという案(文保の御和談)を画策
が、失敗に終わる
94代 後二条天皇
(ごにじょう)
1301~1308 1285年3月9日~1308年9月10日(24歳没) 後宇多天皇の第一皇子で後醍醐天皇の異母兄
歌会や歌合を好んだことで知られる
95代 花園天皇
(はなぞの)
1308~1318 1297年8月14日~1348年12月2日(52歳没) 伏見天皇の第四皇子
仏教を深く信仰し、和歌や書道に優れる
96代
(南朝初代)
後醍醐天皇
(ごだいご)
1318~1339 1288年11月26日~1339年9月19日(52歳没) 大覚寺統・後宇多天皇の第二皇子
鎌倉幕府を討幕し建武の新政を行うなど業績多数
足利尊氏と対立し、南北朝時代の契機となる
当時廃れつつあった伊勢神宮を保護し伊勢神道を学ぶ
禅宗を庇護し書道にも優れており、後世の日本の文化や思想にも大きな影響を与えたとされる
97代
(南朝2代)
南北朝時代 後村上天皇
(ごむらかみ)
1339~1368 1328年~1368年3月29日(41歳没) 後醍醐天皇の第七皇子
後醍醐天皇の遺志を継いで南朝の京都回復を図り、一時は京の奪還に成功する
98代
(南朝3代)
長慶天皇
(ちょうけい)
1368~1383 1343年~1394年8月27日(52歳没) 後村上天皇の第一皇子
近世初期から長慶天皇の在位・非在位をめぐる議論があった
宮内省による調査を経て、1926年10月21日に正式に第98代天皇として公認された
99代
(南朝4代)
後亀山天皇
(ごかめやま)
1383~1392 1350年?~1424年5月10日(75歳?没) 後村上天皇の第二皇子
明徳の和約で北朝の後小松天皇に三種の神器を返還。南北朝が統一される
(北朝初代) 光厳天皇
(こうごん)
1331~1333 1313年8月1日~1364年8月5日(52歳没) 持明院統の後伏見天皇の第一皇子
後醍醐天皇により即位を否定されるが、院政を敷いて積極的に政務に取り組む
(北朝2代) 光明天皇
(こうみょう)
1336~1348 1322年1月11日~1380年7月26日(59歳没) 後伏見天皇の第2皇子
光明天皇の即位によって北朝が成立
(北朝3代) 崇光天皇
(すこう)
1348~1352 1334年5月25日~1398年1月31日(65歳没) 光厳天皇の第一皇子
足利尊氏が南朝に帰順して正平一統が成立し、北朝は一旦廃止されてしまう
(北朝4代) 後光厳天皇
(ごこうごん)
1352~1371 1338年3月23日~1374年3月12日(37歳没) 光厳天皇の第二皇子
北朝再興のため足利義詮に擁立されて即位
(北朝5代) 後円融天皇
(ごえんゆう)
1371~1382 1359年1月11日~1393年6月6日(35歳没) 後光厳天皇の第二皇子
和歌に長じ、足利義満の執奏により『新後拾遺集』を勅撰
100代
(北朝6代)
後小松天皇
(ごこまつ)
1382~1412 1377年8月1日~1433年12月1日(57歳没) 後円融天皇の第一皇子
南北朝が統一され正当な天皇となる
しかし、実権は足利義満が握っており「義満の院政」と呼ばれることもある
101代 室町時代 称光天皇
(しょうこう)
1412~1428 1401年5月12日~1428年8月30日(28歳没) 後小松天皇の皇子で足利義満とは外戚関係にある
奇行が多く、後小松上皇や室町4代将軍・足利義持を悩ませたとも伝わる
102代 後花園天皇
(ごはなぞの)
1428~1464 1419年7月10日~1471年1月18日(53歳没) 崇光天皇のひ孫
称光天皇が嗣子を残さずに崩御したため皇位を継いだ
以後、後花園天皇の皇統が今日の皇室に連なっている
後花園天皇自身は詩歌や学問に優れていた
贅沢三昧であった将軍・足利義政に対して漢詩をもって諷諫したという逸話は有名
103代 後土御門天皇
(ごつちみかど)
1464~1500 1442年7月3日~1500年10月21日(59歳没) 後花園天皇の第一皇子
在位中に応仁の乱が起き、朝廷も貧困に見舞われる
そのため後土御門天皇の崩御のあと、葬儀の費用もなく40日も御所に遺体が置かれたままだったと伝わる
104代 安土桃山時代 後柏原天皇
(ごかしわばら)
1500~1526 1464年11月19日~1526年5月18日(63歳没) 後土御門天皇の第一皇子
応仁の乱のあとの混乱のため、前代に続き朝廷の財政は逼迫した
105代 後奈良天皇
(ごなら)
1526~1557 1497年1月26日~1557年9月27日(61歳没) 後柏原天皇の第二皇子
前代に続き朝廷の財政は困窮をきわめた
後奈良天皇自身は清廉潔白で慈悲深い人物であったと伝わる
106代 正親町天皇
(おおぎまち)
1557~1586 1517年6月18日~1593年2月6日(77歳没) 後奈良天皇の第一皇子
前代に続き朝廷の財政は困窮し権威も失墜
織田信長・豊臣秀吉の援助により朝廷の財政は復興に向かう
織豊政権の元で朝廷の権威維持に努めた
107代 後陽成天皇
(ごようぜい)
1586~1611 1571年12月31日~1617年9月25日(47歳没) 正親町天皇の孫
在位中に室町幕府滅亡、江戸幕府成立
豊臣秀吉の皇室奉戴政策で朝廷の権威が回復
徳川家康からは軽んじられる
儒学や和学に造詣が深く、勅命で慶長勅版を作成(日本初の木製活字本)
108代 江戸時代 後水尾天皇
(ごみずのお)
1611~1629 1596年6月29日~1680年9月11日(85歳没) 後陽成天皇の第三皇子。徳川秀忠の娘を皇后にした
在位中に禁中並公家諸法度、紫衣事件、無位の春日局拝謁など
徳川政権の元で朝廷の権威が失墜した
109代 明正天皇
(めいしょう)
1629~1643 1624年1月9日~1696年12月4日(73歳没) 後水尾天皇の第二皇女で徳川秀忠の孫
徳川将軍家を外戚とした唯一の天皇
朝廷での実権は持っていなかったと考えられている
在位中に参勤交代開始、島原の乱が勃発
110代 後光明天皇
(ごこうみょう)
1643~1654 1633年4月20日~1654年10月30日(22歳没) 後水尾天皇の第四皇子
武芸と儒学・漢学を好み、仏教を退けた
武芸をたしなめられた時に、切腹を見せてみよと言い放った逸話は有名
111代 後西天皇
(ごさい)
1654~1663 1638年1月1日~1685年3月26日(48歳没) 後水尾天皇の第八皇子
学芸に優れ『水日集』や『源氏聞書』『後西院御記』などの著作が多数ある
112代 霊元天皇
(れいげん)
1663~1687 1654年7月9日~1732年9月24日(79歳没) 後水尾天皇の第十九皇子
自身を中心とする朝廷再編を試みたことがある
文芸、特に和歌に秀で数多くの著作を残した
113代 東山天皇
(ひがしやま)
1687~1709 1675年10月21日~1710年1月16日(36歳没) 霊元天皇の第四皇子
長く中絶していた大嘗祭を復活させた
5代将軍徳川綱吉の時代で松尾芭蕉や井原西鶴、近松門左衛門らが活躍
在位中に生類憐れみの令発令、『奥の細道』刊行
114代 中御門天皇
(なかみかど)
1709~1735 1702年1月14日~1737年5月10日(36歳没) 東山天皇の第五皇子
大嘗祭が再び中止される
在位中に享保の改革が始まる
初めて象を見て感激した話は有名
笛の達人で、その音色にキツネも御殿の近くにやって来て聞き入ったという逸話もある
115代 桜町天皇
(さくらまち)
1735~1747 1720年2月8日~1750年5月28日(31歳没) 中御門天皇の第一皇子
大嘗祭を再び復活させるなど、幕府と協調関係を保ちながら朝廷の儀式復興に尽力した
その実績は現在も高く評価されている
和歌に秀で『桜町院御集』などの歌集も残している
116代 桃園天皇
(ももぞの)
1747~1762 1741年4月14日~1762年8月31日(22歳没) 桜町天皇の第一皇子
在位中に宝暦事件が起こり、竹内式部らの尊王論者が幕府によって処罰された
桃園天皇は学者として有名で、垂加神道に造詣があった
117代 後桜町天皇
(ごさくらまち)
1762~1770 1740年9月23日~1813年12月24日(74歳没) 桜町天皇の第二皇女で、現在のところ最後の女性天皇
在位中に明和事件が起こり、山県大弐・藤井右門が討幕の疑いで処罰された
後桜町天皇は漢学と歌道を好み『禁中年中の事』『古今伝授の御記』などの著作がある
118代 後桃園天皇
(ごももぞの)
1770~1779 1741年4月14日~1762年8月31日(22歳没) 桃園天皇の第一皇子
在位中に朝廷内の口向諸役人による不正処罰事件(安永の御所騒動)がおこる
生来病弱であり、皇嗣を決めないまま崩御される
119代 光格天皇
(こうかく)
1779~1817 1771年9月23日~1840年12月11日(70歳没) 東山天皇のひ孫。光格天皇の皇統が現在の皇室に連なっている
幕府に働きかけて朝廷儀式の再興に尽力する
後の尊王思想に影響を与え、在位中に朝廷内の復古勢力は着実に拡大したとされる
在位中に天明の飢饉がおこる
光格天皇自身も博学多才で知られている
120代 仁孝天皇
(にんこう)
1817~1846 1800年3月16日~1846年2月21日(47歳没) 光格天皇の第6皇子
公家の学問向上を目ざす学習所(後の学習院)を創設しようとしたが、その半ばで崩御される
在位中にシーボルト事件天保の飢饉がおこる
121代 孝明天皇
(こうめい)
1846年3月10日 – 1867年1月30日 1831年7月11日~1867年1月30日(37歳没) 仁孝天皇の第4皇子で明治天皇の父
在位中にペリーが来航し、それ以後激動の時代において困難な選択を強いられ続ける
1854年の日米和親条約は許したが、1858年の日米修好通商条約勅許は拒否し、一時譲位を表明した
桜田門外の変の後、妹の和宮を時の将軍・徳川家茂に嫁がせるなど公武合体政策をとった
生涯を通じて攘夷を望んだが、過激な討幕運動には反対した
122代 現代 明治天皇
(めいじ)
1867年2月13日~1912年7月30日 1852年11月3日~1912年7月30日(59歳没) 孝明天皇の第2皇子
徳川慶喜の大政奉還により王政復古の大号令を発する(徳川幕府滅亡)

  • 五箇条の御誓文の宣布
  • 明治と改元して一世一元の制度を制定
  • 江戸を東京と改称し首都にする
  • 大日本帝国憲法の制定
  • 教育勅語の発布

など、天皇中心の強力な中央集権体制を築き、立憲国家・近代国家確立に献身した
日清・日露の両戦争でも戦勝し、英明をうたわれ「大帝」とたたえられた
明治天皇が崩御した際、世界各国でその業績を称賛する声が上がった
私生活は質素を心がけ、天皇の威厳を損なわないように配慮していたと言われる
記憶力抜群で、臣下の発言のごまかしが通用しなかった
大の写真嫌いであったことは有名である

123代 大正天皇
(たいしょう)
1912年7月30日~1926年12月25日 1879年8月31日~1926年12月25日(47歳没) 明治天皇の第三皇子
父の明治天皇と異なり政治的な判断は苦手であった様子
即位後は健康がすぐれずに療養生活を送り、皇太子の裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政の任についた
在位中に第1次世界大戦が勃発
体調を崩す前の大正天皇は気さくで大らかな人柄であったとも伝わる
124代 昭和天皇
(しょうわ)
1926年12月25日~1989年1月7日 1901年4月29日~1989年1月7日(87歳没) 大正天皇の第一皇子。即位後に

  • 1931年9月:満州事変
  • 1932年5月:五・一五事件
  • 1936年2月:二・二六事件
  • 1937年7月:日中戦争
  • 1941年12月:太平洋戦争(第2次世界大戦)

と、立て続けに大きな非常事態を迎える
太平洋戦争の敗戦で天皇の神格化を否定し、日本国憲法下で国民の象徴として位置づけられた
昭和天皇自身は生物学の造詣が深く、『相模湾産ヒドロ虫類』など8冊の著書がある
戦後日本全国を巡幸したが、沖縄県だけは訪問が叶わず、死の床にあっても自身の病状よりそれを悔やんだと伝わる

125代 昭仁
(上皇)
1989年1月7日~2019年4月30日 1933年12月23日~ 昭和天皇の第一皇子。憲政史上初めて譲位した天皇で、1817年の光格天皇以来202年ぶり
初の民間から美智子皇后を迎え、熱狂的なミッチー・ブームが巻き起こった
高齢になってもなお、年間約1,000件の書類に目を通して署名・捺印し、各種行事に約200回出席するなど精力的に活動
雲仙普賢岳噴火の際には被災地を見舞い、床に膝をついて直接被災者らと同じ姿勢で言葉を交わした
昭和期の皇太子時代から美智子妃と共に床に膝をついていたが、これは歴代天皇では初めての行為
平成に入ってからは他の皇族もこれにならった
天皇自身は魚類学者としても知られ、ハゼの分類学的研究者。新種のハゼの命名に「アキヒト」の名が献名されるほどである
126代 今上天皇 2019年5月1日~ 1960年2月23日~ 明仁(第125代天皇・上皇)と美智子(上皇后)の第一皇男子
海外留学経験のある初めての天皇
気さくな人柄で知られる