「三つ子の魂百まで(みつごのたましいひゃくまで)」ということわざがあります。
人の性格は変わるものではないという意味を持ちますが、この意味を間違って覚えているケースが多いようです。
また、最近の研究により、「三つ子の魂百まで」という考え方は間違いである可能性が指摘されています。
簡単に言うと、人間の性格は変えることができるということです。
この記事では、「三つ子の魂百まで」の本来の意味と、現実ではこのことわざが間違いである理由、そして例文を用いて使い方についても詳しく紹介しています。
三つ子の魂百までの本当の意味は?
「三つ子の魂百まで」ということわざの意味は、幼い頃の性格や性質が、年をとっても変わらないということです。。
「三つ子」とは三歳の子供のことで、双子や三つ子を指すわけではありません。
また、「百」は文字通りの百歳ではなく、「死ぬまで」という意味合いです。
そして、「魂」は「性格や性質」を指しています。
例えば、小さい頃から他人を助けるのが好きな子が大人になってもその傾向を持ち続ける場合、「三つ子の魂百まで」と言えます。
逆に、幼い頃から問題行動を見せる子が大人になっても改善しない場合も、同じくこのことわざが当てはまります。
このように、人の性格や性質は幼少期に形成され、一生を通じて影響を与えるというのが、「三つ子の魂百まで」の本来の意味です。
良い意味にも悪い意味にも使えるので、日常生活の中でさまざまな場面で活用できます。
また、「三つ子の魂百まで」の由来については、正確なことは分かっていません。
有力な説としては、かの有名な紫式部の「源氏物語」が起源というものがあります。
「源氏物語」には、生まれつきの才能について述べた一節があり、それが「三つ子の魂百まで」という意味に通じるとされています。
なお、「三つ子の魂百まで」を「幼いころに覚えたことや習ったことは生涯忘れない」という意味で捉えられることがあります。
ですが、これは間違いです。
知識や技能を指すのではなく、あくまで性格や性質が変わらないという意味なので、この点は注意が必要です。
三つ子の魂百まではという考えは間違い?
「三つ子の魂百まで」という言葉は、上記のとおり、幼い頃の性格や気質が年をとっても変わらないという意味を持ちますが、最近の研究によると、この考え方は間違いの可能性があることが指摘されています。
例えば、英エジンバラ大学とリバプール・ジョン・ムアーズ大学の共同研究では、人の性格が60年間で劇的に変わる可能性を示唆しています。
この研究は、1947年に英国で行われた14歳の少年少女を対象とした性格診断調査を基にしています。
60年後、同じ調査対象者の中から174人が再び性格診断に参加しました。
その結果、14歳の時と77歳の時の性格は、ほとんど相関性が見られないことが明らかになりました。
特に「気分の安定性」と「慎重さ」を除いて、他の性格的特徴は大きく変化していたということです。
この研究結果は、人の性格が一生を通じて大きく変わる可能性があることを示しています。
これまでの研究では、性格はある程度安定しているとされていましたが、長期間を通じて見ると、人はまったくの別人になり得るということです。
肉体の細胞が数年周期で入れ替わるように、人間の性格も60年という長い時間を経て変化するのかもしれません。
確かに、人間の本質はなかなか変わるものではないとよく言われますし、生まれつきの性格を変えることは難しいとは思います。
ですが、人生が劇的に変わるような体験をすると、性格や考え方も大きく変わることはよくあります。
また、そのような体験をしなくても、日々の行動の積み重ねによって、性格や気質が変化していくということもあります。
特に、自身の人生を変えようという意志を持って毎日を過ごせば、時間の経過と共に、徐々に変化が見られるようになるものです。
自己改善への意識が高い人ほど、目に見える変化を実感しやすいでしょう。
例えば、積極的に新しいことに挑戦したり、人との関わり方を見直したりすることで、徐々に自分自身の性格や考え方に変化が生まれるものです。
やや自己啓発チックな話になりましたが、自分自身に悪い所があれば、それを変えようという意識は大切ですね。
三つ子の魂百までの使い方をご紹介
ここでは、「三つ子の魂百まで」の本来の使い方として、簡単な例文を3つ紹介します。
- 小さい頃からいつも元気いっぱいだった彼女は、大人になってもその活発さを失っていない。まさに「三つ子の魂百まで」と言える。
- 子供の頃から本を読むのが好きだった彼は、今でも毎晩寝る前には必ず読書をしている。「三つ子の魂百まで」とは、彼のことを言うのにぴったりだ。
- 彼は幼いころから人見知りで、大人になっても新しい人との出会いに緊張するのを見ると、「三つ子の魂百まで」という言葉が思い浮かぶ。
三つ子の魂百までの類義語をご紹介
次に、「三つ子の魂百まで」の類義語を紹介します。
病は治るが癖は治らぬ(やまいはなおるがくせはなおらぬ)
病気は治療で治ることがあっても、人の根深い癖や性質はなかなか変わらないという意味です。
「三つ子の魂百まで」と同じく、人の性格や習慣が変わりにくいことを表しています。
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
雀が地面を歩く際に特有の跳ねる動作をすることから来ており、幼い頃に身についた習慣や性質は、年を取っても変わらないという意味を持ちます。
産屋の癖は八十まで治らぬ」(うぶやのくせははちじゅうまでなおらぬ)
人が生まれた時から持っている性質や癖は、年を取っても変わらないという意味です。
これも「三つ子の魂百まで」と同じく、生まれ持った性格や習慣が一生続くことを表しています。
まとめ
「三つ子の魂百まで」ということわざは、幼少期の性格や性質が一生続くという意味です。
「身に付けた知識や技能は忘れることはない」という意味ではないので、注意が必要です。
また、最新の研究では「三つ子の魂百まで」という考え方に疑問が投げかけられ、人の性格は時間と共に変わり得るということを示唆しています
もちろん、人間の性質は簡単に変わるものではないでしょうが、日々の生活において自己改善の意識を持つことは大切になりますね。