七福神といえば、日本で縁起の良い神様として有名ですね。
ですが、7柱の神様全員の名前まではよく知らないということが多いようです。
また、似ている神様もいるので、見分けがつかないというケースもあるようです。
そこで、この記事では、七福神の名前とそれぞれの特徴について、分かりやすく説明しています。
七福神一覧とそれぞれの特徴
七福神とされているのは、以下の7柱の神様です。
- 恵比寿(えびす)
- 大黒天(だいこくてん)
- 毘沙門天(びしゃもんてん)
- 弁財天(べんざいてん)
- 福禄寿(ふくろくじゅ)
- 寿老人(じゅろうじん)
- 布袋(ほてい)
次に、それぞれの神様の特徴を簡単に説明します。
恵比寿(えびす)
七福神で唯一の日本の神様です。
「えびす様」というひらがなで表記されることが多いですね。
ご利益は、商売繁盛、豊かな収穫、学業成就、豊漁などがあります。
恵比寿の象徴的な特徴は、釣竿と一緒に持たれる鯛です。
時にはどちらか一方だけが描かれることもありますが、これらのどちらかがあれば「えびす様」と認識されることが一般的です。
また、地域によっては、親しみを込めて「えべっさん」という愛称で呼ばれることもあります。
大黒天(だいこくてん)
大黒天は、インドのヒンドゥー教における「破壊と再生の神」として知られるシヴァ神(マハーカーラ)に由来する神様です。
中国の仏教では、軍事、戦闘、そして富と高い地位を司る神として崇拝されていました。
サンスクリット語で「マハー」は「大いなる」、「カーラ」は「黒」を意味します。
そして、マハーカーラが仏教に取り入れられた際、「天」という言葉が付け加えられ、その結果「大黒天」という名前になりました。
日本では、豊作や財運、福徳の神様として信仰されています。
ご利益は、商売繁盛、出世開運、五穀豊穣となります。
日本ではよく「大国主」と同一視されます。
神仏習合の一環として信仰されてきた経緯があります。
また、大黒天のトレードマークは打ち出の小槌です。
袋と一緒に持っている姿で親しまれていますね。
一見すると、恵比寿様と間違えやすいですが、大黒天が持っているのは打ち出の小槌、恵比寿様は釣竿を持っていると覚えておくとよいでしょう。
毘沙門天(びしゃもんてん)
毘沙門天は、七福神で唯一の武神です。
元々はインドのヒンドゥー教における神、クベーラに由来しています。
毘沙門天のご利益は、厄除け、勝利をもたらす力、開運、家内安全などとなります。
毘沙門天の特徴は、身につけた鎧と手に持つ槍です。
戦いの神様らしく、怒りに満ちた表情も彼の特徴の一つです。
また、日本の戦国時代では、特に上杉謙信が信仰していたことで有名ですね。
弁財天(べんざいてん)
弁財天は、インドのヒンドゥー教の女神サラスバティーに由来します。
七福神の中で唯一の女性神で、日本では一般的に「弁天さま」として親しまれていますね。
ご利益は、財運、商売繁盛、恋愛成就、芸術の向上などになります。
弁財天の特徴は、女性であることと、羽衣を身にまとい、琵琶を手にしていることです。
七福神の中で唯一の女性神であるため、さすがに他の神様と間違えることはないと思います。
福禄寿(ふくろくじゅ)
福禄寿は、中国の道教に起源を持つ神様です。
ご利益は、長寿、健康、子孫の繁栄、立身出世などとなります。
福禄寿の特徴は、鶴と亀が共に描かれること、そして杖と巻物を持っている点です。
福禄寿は、後に説明する「寿老人」と同一視されていた時期もあるようです。
ですが、江戸時代に現在の姿に定着したとされています。
寿老人(じゅろうじん)
寿老人は、中国の伝説上の神で、南極老人星(カノープス)の人格化とされています。
時には「樹老人」とも記され、これは樹木の強靭な生命力を象徴していると考えられます。
ご利益は、長生き、家庭円満、社会的成功、子孫の繁栄などがあります。
また、寿老人の特徴は、彼が連れている鹿と、手に持つ桃です。
これらは共に長寿を象徴するものとされています。
先ほどの福禄寿と同じ神様とされていたこともあり、両者の区別が少しややこしいと思います。
伴っている動物と手に持つアイテムで見分けるのが、最も確実というところです。
布袋(ほてい)
布袋は、七福神の中で実在の人物が神として崇められている唯一の例です。
布袋の起源となった人物は、中国の唐の時代の僧侶「契此」とされています。
死後、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の化身として崇められました。
布袋も、日本ではよく「布袋さん」と呼ばれて親しまれていますね。
ご利益は、開運、夫婦円満、子宝に恵まれる、無病息災などがあります。
布袋の特徴は、大きなお腹と彼が持つ大きな袋です。
大きな袋は、日本では「堪忍袋」とも呼ばれていますが、人々に幸せを分け与えるためのものだと言われています。
七福神の由来
実は、七福神は、最初から7柱の神様が一組になっていたわけではありません。
それぞれ独自の信仰を集めていた7柱の神様が「福をもたらす神々」として、時代を経て変化しながら形成されるようになりました。
これらの神々が「七福神」として広く信仰されるようになったのは、室町時代後期からのことで、平安時代には「恵比寿」と「大黒天」が二福神として主に祀られていました。
江戸時代に入ると、毘沙門天が加わり、三福神としての信仰が定着しました。
ただし、平安時代末期には弁財天への信仰が高まり、時には毘沙門天の代わりに弁財天が三福神に含まれることもあったようです。
室町時代には、布袋、福禄寿、寿老人などの神話が中国から伝わり、仏教の教えや「竹林の七賢」の影響を受けて、これらの神々がセットとして考えられるようになり、「七福神」としての信仰が生まれました。
まず、仏教の経典「仁王経」には、「七難即滅七福即生」という教えがあり、「七福神を信仰することで7つの災いが除かれ、7つの幸せを授かる」という考え方が生まれました。
経典での七難は「風害・水害・火災・干害・盗難・太陽の異変・星の異変」、七福は「裕福・寿命・人望・清簾・威光・愛敬・大量」を意味し、これらは七福神に当てはめられています。
一方、中国の伝説には、「竹林の七賢」が俗世を避けて集まり、清談を楽しんだ話があり、これに基づいた水墨画が多く描かれています。
これにちなんで、7柱の神々を一緒にして信仰するようになったとも言われています。
ただし、どちらにせよ、最初は現在の7柱に限定されていなかったようで、様々な組み合わせが存在し、現在の形に定着したのは江戸時代になってからと考えられています。
七福神の順番
福を招く縁起物として、七福神の置物がセットで飾られることがよくあります。
このとき、並べ方に順番はあるのでしょうか?
一列に七福神を並べるときには、「自分の望む願いに応じて左から順に配置すると良い」という考えもあるようです。
ですが、基本的に、七福神の配置に厳密なルールは存在しないとされています。
ただ、神社などでは
- 恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋
- 恵比寿・大黒天・弁財天・毘沙門天・福禄寿・寿老人・布袋
- 恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人
- 恵比寿・大黒天・弁財天・毘沙門天・布袋・福禄寿・寿老人
という順で配置されていることが多いです。
日本出身の神様である恵比寿様を一番左に置き、福禄寿と寿老人が隣り合わせになるように並べるのが一般的なようです。
まとめ
七福神自体はよく知られていますが、全員の名前までは意外と知られていないようです。
また、日本の神様は、恵比寿様だけだったりします。
もともとは独立して信仰されていた7柱の神様が、時代を経て一組となりました。
日本には八百万の神様が宿ると言われますが、七福神もそのユニークな一例と言えるかもしれません。