銀行は、今の私たちの日常生活に欠かせない存在ですね。
お金を扱う場所として、「金行」の方が適しているように思えますが、実は「銀行」と呼ばれるようになった興味深い理由があります。
この記事では、なぜ「銀行」が「金行」ではなく、「銀」を用いることになったのか、その意外な歴史的背景について詳しく解説しています。
銀行という名前の由来は?
「銀行」という名前の由来は、明治5年(1872年)に制定された「国立銀行条例」に端を発します。
この条例は、アメリカの「ナショナル・バンク制度」をモデルにしており、その「バンク」を日本語に翻訳する際に「銀行」という言葉が生まれました。
翻訳にあたっては、「金司」「金舗」などの案もありましたが、当時の日本の貨幣制度が銀本位制であったため、銀が主要な貨幣として流通していました。
このため、「銀行」という名前が選ばれたとされています。
また、「銀行」の「行」という字は、中国語で「店」や「市場」を意味し、日本が借用した漢語です。
このため、銀行は文字通り「銀を扱う店」という意味を持ちます。
さらに、「銀行」という言葉は、発音のしやすさから選ばれたという説もあります。
「Bank」の語源に関しては、12世紀頃の北イタリアにその起源があります。
当時の両替商(銀行の原型)が、両替のために使用した「BANCO」(長机、腰掛)が語源とされています。
このように、「銀行」という名前は、その時代の貨幣制度や言葉の発音のしやすさ、さらには外国語の翻訳など、様々な要因が組み合わさって生まれたものです。
日本銀行のホームページにもこの由来についての記載がありますので、興味のある方はぜひご覧ください。
金行という案もあった?
では、この銀行という名前を採用したのは誰かというと。
こちらに関しては、明確な記録が残っていないため、特定の人物をあげるのは難しいようです。
ただ、一般的には、明治時代の初期における多くの学識者たちが銀行という言葉の確立に関わったとされています。
特に、福沢諭吉や渋沢栄の二人が、この用語の確立に寄与したと考えられています。
福沢諭吉は数多くの西洋の言葉を日本語に訳した人ですし、渋沢栄一は日本で初めてとなる銀行の「第一国立銀行」を創った人ですしね。
この二人が、銀行という日本語の発案に大きく関わっていたと考えるのは自然なことでしょう。
そして、実は、「金行」という案も存在していました。
しかも、この案は、渋沢栄一によって提案されたと言われています。
渋沢栄一は、国立銀行条例の制定にも取り組んでいました。
提案された「金行」と「銀行」の2案の中で、三井財閥の中興の祖とされる三野村利左衛門が「交換には銀を含む」と答え、語呂の良さも考慮され、「銀行」という名前が採用されることになったとも言われています。
今となっては真偽のほどはよく分かりませんが、このようなエピソードも伝わっています。
まとめ
銀行という言葉は、明治初期の学識者の協議によって成立したようです。
特に、福沢諭吉や渋沢栄一のような偉人たちが銀行という用語の確立に大きく関わったと考えられています。
また、「金行」という案も提案されたようですが、最終的には「銀行」という名前が採用されました。
この名前の選定には、当時の貨幣制度や言葉の響き、さらには外国語の翻訳など、様々な要因が影響していたことが分かりますね。