筧十蔵の出自と物語
筧十蔵は真田十勇士の一人で、鉄砲が得意な人物とされています。
戦国時代から江戸時代初期にかけて、当時はまだ珍しかった種子島銃をいつも携えていました。
もともと十蔵は豊臣家の譜代大名である蜂須賀家の家臣でした。
真田幸村が大坂城内の蜂須賀家に滞在したときに、筧十蔵と出会ったとされています。
十蔵は幸村の人柄に惚れ、自ら志願して幸村に仕えるようになりました。
十勇士の中でも、かなり古くから幸村の家臣になったようで、幸村の主立った戦にはほぼ全て同行しています。
第二次上田合戦では、幸村の影武者を務め、敵軍をかく乱させることに成功しています。
大坂冬の陣では、30人の猟師組を率いて徳川軍に大きな痛手を与えています。
大坂夏の陣でも活躍しますが、その最期ははっきりしていません。
書物によって、夏の陣で討ち死にしたとも、猿飛佐助らと一緒に幸村に付き従って薩摩まで落ち延びたとも言われています。
筧十蔵のモデルとなった人物
筧十蔵のモデルとなった人物については、諸説あります。
一つは実在した人物という説。
真田昌幸の足軽大将にまで出世した筧虎秀の息子であり、父と同じようにして幸村の家臣になったとされます。
また、「真田三代記」では筧十蔵という名前はないものの、筧十兵衛、筧金六郎という名前があり、この2人が十蔵のモデルと考える向きがあります。
さらには、幸村の小姓の一人が筧十兵衛であり、その息子が十蔵であるという説があります。
その一方で、筧十蔵は完全な架空の人物であるという説も存在します。