「義を見てせざるは勇なきなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)」ということわざがあります。

正しい行いには勇気が必要という意味で、儒教の重要な教えの一つでもあります。

この記事では、「義を見てせざるは勇なきなり」の意味と由来、例文から類義語や対義語まで詳しく紹介しています。

義を見てせざるは勇なきなりの意味は?

「義を見てせざるは勇なきなり」とは、正しいと認識しながらそれを行わないのは、勇気がないことを意味します。

正義や道徳的に正しい行動を知りながら、それを実行に移さないことは、勇気の欠如であると批判する言葉です。

正しいことを行う勇気を持つべきだという教訓を含んでいます。

「義を見て為ざるは勇なし」とも言います。

義を見てせざるは勇なきなりの由来は?

まず「義」というのは、儒教の根本的な概念である五常の一つで、自己の欲望に囚われずに正しい行動を取ることを意味します。

五常とは、人間が守るべき基本的な道徳規範のことで、義、仁、礼、智、信の5つがあります。

また、「勇」は「勇気」のことを指します。

そこから、「義を見てせざるは勇なきなり」は、正しいと認識しつつもそれを行動に移さないことは勇気がないからだという意味になります。

「義を見てせざるは勇なきなり」の由来は、「論語」に記された孔子の言葉にあり

「子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不爲、無勇也」

という一節に見られます。

書き下すと「子曰わく、其の鬼に非ずしてこれを祭るは、諂いなり、義を見て為ざるは勇なきなり」となります。

これは、祭るべきでない神を祭るのは単なるお世辞であり、自分が人としてすべき事をしないのは、勇気がないためだという意味です。

この教えから、「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉が生まれ、正しいことを行う勇気の重要性を伝えています。

義を見てせざるは勇なきなりの例文をご紹介

「義を見てせざるは勇なきなり」の使い方として、例文を5つ紹介します。

  • 彼は不正を目の当たりにしながら、何も行動を起こさなかった。まさに義を見てせざるは勇なきなりの典型例だ。
  • 義を見てせざるは勇なきなりという言葉を胸に、彼はコミュニティの問題に立ち向かう決意を固めた。
  • 義を見てせざるは勇なきなりとは言うものの、実際には人間関係や社会的なプレッシャーの中で行動できずに挫折してしまう例が多い。
  • 彼は友人がいじめられているのを見て見ぬふりをしたが、後に義を見てせざるは勇なきなりという言葉を思い出し、後悔した。
  • 社会の不公平に対して行動を起こすことの重要性を説く際、教師は義を見てせざるは勇なきなりという教えを生徒たちに伝えた。

義を見てせざるは勇なきなりの類義語をご紹介

「義を見てせざるは勇なきなり」とよく似た意味を持つ表現として、「知者は惑わず勇者は懼れず(ちしゃはまどわずゆうしゃはおそれず)」があげられます。

こちらも「論語」にある言葉で、知恵ある人は迷いに惑わされず、勇気ある人は恐れることがないという意味を持ちます。

正しい知識と勇気を持つことの重要性を強調しており、「義を見てせざるは勇なきなり」と同様に、正義や道徳的な行動を取る際の心構えを説いています。

義を見てせざるは勇なきなりの対義語をご紹介

「義を見てせざるは勇なきなり」と反対の意味を持つ表現として、以下に2つ紹介します。

君子危うきに近寄らず(くんしあやうきにちかよらず)

賢明な人は危険を避けるという意味です。

危険や不確実な事態から自らを守る行動の重要性を強調します。

触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)

関わりのない問題に手を出さない方がトラブルを避けられるという意味です。

余計なことに関わらず、平穏を保つことの賢さを示しています。

まとめ

「義を見てせざるは勇なきなり」とは、人としてやらなければいけないことだと分かっていながら、それを行わないのは勇気がないからであるということ意味です。

人生において、余計な争いごとは避けるのが賢明な場合が多いでしょう。

ですが、間違いが明らかな場合には、勇気を持って行動することが大切です。

そうでないと、さらに大きな問題に直面することもあり得ます。

私たちが日々の生活の中で心に留めておくべき重要な教訓ですね。