「渡る世間に鬼はなし(わたるせけんにおにはなし)」ということわざがあります。
世の中には、悪い人ばかりではなく、親切な人もいるという意味を持っています。
大ヒットドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のタイトルがよく知られていますが、混同しないように注意したいところです。
この記事では、「渡る世間に鬼はなし」の意味と由来、例文から類義語や対義語まで詳しく紹介しています。
渡る世間に鬼はなしの意味は?
「渡る世間に鬼はなし」とは、悪意を持った人だけではなく、親切な人も必ずいるものだという意味の日本のことわざです。
「渡る世間に鬼はない」と表記されることもあります。
理解し合えばどんな人間とも仲良くできるという意味も含まれており、人と人との間に起こる誤解や争いも、お互いの立場や心情を理解することで解決できるという人生観を表すときもあります。
渡る世間は鬼ばかりという言葉もあるけれど?
また、注意したいのは、「渡る世間は鬼ばかり」という言葉との混同ですね。
ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は非常に人気があり、このタイトルによって多くの人に親しまれていますが、実際にはドラマのために作られた造語です。
正しいことわざは「渡る世間に鬼はなし」で、あくまで人と人との間には本質的に悪意は存在せず、理解と共感を通じて誰とでも良好な関係を築けるという意味を持っています。
ドラマのタイトルが広く知られるようになったことで、誤解を招くこともありますが、元々のことわざは人間関係の肯定的な側面を強調しています。
渡る世間に鬼はなしの由来は?
「渡る世間に鬼はなし(い)」の直接的な起源はよく分かっていないようです。
ただし、夏目漱石の小説「野分」に
渡る世間に鬼はないというから、同情は正しき所、高き所、物の理窟のよく分かる所に聚あつまると早合点して
と引用されており、明治時代には広く知られていたことが伺えます。
「渡る」という言葉には、「橋を渡る」や「川を渡る」といった直接的な意味の他に、広義には「生活する」「生きていく」という意味があります。
また、「世間」は文字通りに世の中や社会を指し、「鬼」は冷酷さや残酷さを象徴する言葉として使われます。
この表現を通じて、私たちの生きる世界が時には厳しく、冷酷で残酷な人々で満ちているかのように感じられることがありますが、実際には理解と共感を持つことで、温かく、思いやりのある人々の存在に気づくことができるというメッセージが込められています。
渡る世間に鬼はなしの使い方は?
「渡る世間に鬼はなし(い)」の使い方として、例文を5つ紹介します。
- 渡る世間に鬼はなしというように、窮地に陥った時、思わぬ人からの助けがあった。人間の温かさを感じる瞬間だった。
- 新しい街に引っ越した際、最初は心細かったが、近所の人々の優しさに触れ、渡る世間に鬼はなしと実感した。
- 彼は失敗から立ち直ることができた。周囲の人々が温かく支えてくれたからだ。渡る世間に鬼はなしと彼は感謝の気持ちを述べた。
- 仕事で大きなミスをしてしまい、厳しい叱責を覚悟していたが、上司は意外にも寛大だった。渡る世間に鬼はないと心から安堵した。
- 疎遠になっていた友人に連絡を取ったら、快く迎え入れてくれた。渡る世間に鬼はないという言葉通り、人との繋がりの大切さを再認識した。
渡る世間に鬼はなしの類義語は?
「渡る世間に鬼はなし」とよく似た意味を持つ表現として、「捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり)」があります。
人生において不幸や困難に見舞われることがあっても、同時に新たな幸運やチャンスが訪れることを意味する日本の諺です。
どんなに厳しい状況にあっても、希望を失わずにいれば、必ず良いことが起こるという楽観的な人生観を示しています。
一つの扉が閉じれば別の扉が開くという考え方で、人生の浮き沈みに対する前向きな姿勢を励ますメッセージが込められています。
「渡る世間に鬼はなし」と同様に、人間関係や社会生活における困難を乗り越えることの大切さを説いています。
渡る世間に鬼はなしの対義語は?
「渡る世間に鬼はなし」と反対の意味を持つ言葉としては、「人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)」があげられます。
他人を信用せず、常に警戒心を持って接するべきだという意味のことわざです。
人間関係や社会生活において、他人に対して疑いの目を持つことの重要性を強調しています。
「渡る世間に鬼はなし」が人間の基本的な善意や理解を通じた協力と和解の可能性を示唆するのに対し、「人を見たら泥棒と思え」は、潜在的な危険や裏切りに対する防衛的な態度を取ることの大切さを説いています。
過度に人を信用することのリスクを警告し、自己防衛の観点からの警戒を促すメッセージを含んでいます。
まとめ
「渡る世間に鬼はなし」とは、世の中には悪意を持った人ばかりではなく、親切で思いやりのある人も多いという意味です。
人間関係の肯定的な側面を強調し、誤解や争いも理解と共感を通じて解決可能であることを教えています。
むやみに人を信用するのは危険かもしれませんが、実際には親切で誠実な人も多いのが常です。
また、自分が鬼にならないように、心優しい人間になることで、人々が支え合えるような世の中にしたいものです。