日本で古くからよく知られている童謡の1つに「あんたがたどこさ」があります。

おそらく誰もが小さい頃から、よく歌ったものだと思います。

ただ、このようなわらべ歌のたぐいは大抵、色々な解釈があるのが常です。

例えば、「かごめかごめ」の歌詞についても、その意味についていくつかの説があります。

「あんたがたどこさ」も例外ではなく、怖い意味が隠されていると言われることがあります。

今回は、「あんたがたどこさ」の歌詞の怖い意味について、詳しく説明していきたいと思います。

都市伝説ではありますが、かなり説得力があるので、ぜひご一読くださればと思います。

「あんたがたどこさ」の歌詞

まず、「あんたがたどこさ」の歌詞を見てみましょう。

あんたがたどこさ
肥後(ひご)さ

肥後どこさ
熊本さ

熊本どこさ
船場(せんば)さ

船場山(せんばやま)には狸(たぬき)がおってさ

それを猟師が鉄砲で撃ってさ

煮てさ 焼いてさ 食ってさ

それを木の葉でちょいと隠かぶせ

地域や時代によって、多少歌詞が違うことがありますが、一般的には上記のような歌詞になります。

そして、それぞれの歌詞の意味は次のようになります。

歌詞 意味
あんたがたどこさ あなたはどこから来たの?
肥後さ 肥後の国(現在の熊本県)だよ
肥後どこさ 肥後のどこ?
熊本さ 熊本藩だよ
熊本どこさ 熊本藩のどこ?
船場さ 船場
(熊本城近くの船場橋)だよ
船場山には
狸がおってさ
船場山(熊本城にある土塁)
には狸がいて
それを猟師が
鉄砲で撃ってさ
その狸を猟師が
鉄砲で撃って
煮てさ、焼いてさ、
食ってさ
その狸を煮て、
焼いて、食って
それを木の葉で
ちょいと隠かぶせ
食べ終わった狸の骨などは
木の葉で隠します

「あんたがたどこさ」に隠された怖い意味とは?

「あんたがたどこさ」は、戊辰戦争(1868~1869年)の時期に生まれたと考えられています。

江戸時代末期から明治時代初期にかけて起こった、新政府軍と旧幕府軍との戦いですね。

「あんたがたどこさ」は、この頃に成立したと考えられていますが、歌詞を見ると、熊本で歌ったものと思われがちです。

ところが、最近の研究では「埼玉県川越市」が発祥地と考えられています。

その理由については、後ほど説明します。

さて、川越市には「仙波東照宮」という神社があり、徳川家康を祭神としています。

家康は、その風貌や策略に満ちた行動から「タヌキおやじ」という異名を持っていたことで有名です。

そして、戊辰戦争の時期から、「あんたがたどこさ」に登場する「狸(たぬき)」は徳川家康であるという解釈ができるんです。

どういうことかというと?

家康を狡猾なタヌキに例え、新政府軍が徳川幕府を倒す様子を比喩的に表現しているということです。

この場合

歌詞 意味
狸(たぬき) 徳川家康
船場山 仙波東照宮
漁師が鉄砲で
撃ってさ
新政府軍が
徳川幕府を討つ
煮てさ、焼いてさ、
食ってさ
煮ても焼いても食えない狸
(=家康)
木の葉でちょいと隠せ 戦争での蛮行を
言葉で隠す

となります。

歌詞には、タヌキ(家康)が船場山(仙波東照宮)にいるという内容があり、漁師(新政府軍)がそれを鉄砲で撃つ様子が描かれています。

このタヌキはどんなに調理しても食べられない(家康の狡猾さ)という意味合いが込められており、戦争の残酷さを木の葉(言葉)で隠すという表現も含まれています。

このように、徳川幕府を公然と批判することが難しかったため、この童謡が隠喩的なメッセージを持っていたと考えられるというわけです。

多少強引なところはあるかもしれませんが、それでも実に見事に時代の背景を捉えて、意味がしっかりと成り立っていますね。

また、「あんたがたどこさ」という歌には、江戸時代の厳しい生活状況を表しているという解釈もあります。

この解釈によると、飢饉などの困難に直面し、親によって売られてしまった子どもたちが、互いに出身地を尋ね合っているという内容が歌に込められているとされます。

つまり、歌の中で、先に売られた子どもが新たに売られてきた子どもに出身地を尋ねている様子が描かれているというわけです。

当時の人買いは現代の人身売買に相当し、幕府の治安維持策によって一時的に抑制されたものの、農民が前借金の負担により子どもを「奉仕」として出すことは、近世の戦後期にも行われていました。

「あんたがたどこさ」は、そうした時代の苦境に置かれた子どもたちの声を伝えるものとも考えられるということです。

さすがに、こちらの解釈だと悲しいものがありますね。
子供たちが、お互いの出身地を尋ねている様子を想像すると…ゾッとします😰

もちろん、「タヌキ=徳川家康」説も、人身売買説も、都市伝説と考えられています。

ただ、たとえ都市伝説だとしても、後者の人身売買を表しているとは考えたくないものです。

さらに、もっと恐ろしい解釈として、飢饉による食糧不足の中で、飢えに苦しむ親が亡くなった子どもを食べてしまうという内容を描いているという説も存在するようです。

ですが、この説は怖さを強調しすぎているきらいがあり、現実味に欠けるように思います。

「あんたがたどこさ」の一般的な意味

先に述べたような都市伝説とは異なり、「あんたがたどこさ」は「問答歌」と呼ばれ、質問と回答を織り交ぜた形式の歌です。

「あんたがたどこさ」に関しては、長年にわたり様々な研究が行われてきました。

特に注目されているのは、この歌の起源に関する説です。

先述したとおり、熊本が発祥地と思われがちですが、最近の研究によると「埼玉県川越市」がその地とされています。

この説の根拠としては、熊本には該当する地名が存在しないことが挙げられます。

一方で、川越市には「仙波山」という地があります。
また、歌詞の言葉遣いも熊本弁ではなく関東弁であることが指摘されています。

特に、戊辰戦争の際に川越城近くの仙波山に熊本藩の兵士が駐屯していたことがあり、地元の子どもたちと交流していたようです。

そのため、埼玉県川越市が歌の起源であると考えられるわけです。

歌詞には、子どもたちが兵士に出身地を尋ねる様子が描かれており、そのやり取りが「あんたがたどこさ」の歌詞になったとされています。

まとめ

「あんたがたどこさ」は、子供の遊び歌ではありますが、時代の背景や社会的な事情を反映した深い意味を持つ歌でもあります。

都市伝説としての解釈は、徳川家康や人身売買といった重いテーマを含んでいることがありますが、あくまで一つの見方に過ぎません。

実際には、この歌は地域や時代によって異なる意味を持ち、様々な解釈が可能できるようです。

そのため、「あんたがたどこさ」は特に江戸時代の日本の文化や歴史を理解する上で興味深い題材と言えるでしょう。