私の出身地でもある、大阪府大阪市。
上に書いた通り、漢字は「大阪」になりますよね。
ですが、ご存じの方も多いと思いますが、江戸時代、あるいは明治になるまでは、「大坂」と表記されていました。
例えば、15世紀に生存した、浄土真宗本願寺派の僧侶である蓮如上人が著したものの中に、「大坂」という表記がよく出てきます。
これは、結構有名なお話しで、蓮如上人が「大坂」という地名を名付けたとも考えられています。
その他にも、有名どころとしては、「大坂城」。
現在は、「大阪城」と表記されますが、明治以前は「大坂城」となっていたようです。
それに関連して、戦国末期に起こった「大坂の陣」も、「大阪の陣」と表記されることもありますが、一般的には「大坂の陣」と表記されることが多いです。
以上のように、以前は「大坂」でしたが、なぜ、現在は「大阪」と表記されているのか、ご存じでしょうか。
これは、一口に言ってしまうと、「縁起を担いだため」ということになります。
と、まあ、こんなに簡潔にまとめてしまっても、よく分からないと思います。
というわけで、この記事では、「大坂」から「大阪」に変わった理由について、詳しく説明していきたいと思います。
「大坂」から「大阪」になった時期は?
まず、「大坂」の語源については、当地に大きな坂があったところから、大坂になったという説があります。
それとは、別に、「小坂=をさか」が語源ではないかという説があります。
2つの説があるわけですが、どちらが正しいのか、あるいは、別に語源があるのか、はっきりとしたことは分かっていないようです。
次に、「大坂」から「大阪」に表記が変わった時期については、一般には明治維新の後であり、新政府が「大阪」と表記するようにしたとされています。
ただし、1839年に発行された地図に、名称が「大阪新町細見図」というものがあり、ここで「大阪」と表記されています。
さらに、1806年の地図にも、「大阪」という表記があり、江戸時代の終わり頃からすでに「阪」が使わていた模様です。
ですが、根付いた習慣というものは大きいもので、明治政府のお役所でも「大坂」と書く人が多かったそうです。
結局、「大阪」という表記で統一されたのは、明治20年(1887年)頃と考えられています。
「大坂」から「大阪」に変わった理由とは?
では、何故、「大坂」から「大阪」へと表記が変更されたのでしょうか?
前述したように、縁起を担いだからなのですが、注目すべき点は、「坂」という漢字です。
分解すると、「土」と「反」となりますよね。
すなわち、「土に反える(かえる)」と読めるわけです。
「土にかえる」ということは、つまり「土の中に消えてしまう」=「死ぬ」ということ。
そういう印象を抱かせてしまうということです。
なので、縁起が悪い!
以上の理由から、「阪」という漢字が使われ、「大阪」と表記されるようになったと言われています。
何とも、単純な理由と言ってしまえばそれまでですが。
けれども、実際、大坂夏の陣で一度落城して埋め立てられ、徳川政権の元で新築されて、何度も修復作業が行われて。
その努力もむなしく、江戸末期の鳥羽・伏見の戦いで、大坂城はほとんど焼失してしまいましたし。
縁起が悪いと思われるような事情も、かなりあったのではないかと、考えさせられるものがありますね。