「大海は芥を択ばず」ということわざがあります。

大きな海のように、大人物は度量が大きいという意味です。

この記事では、「大海は芥を択ばず」の意味と由来、例文や類義語なども詳しく紹介しています。

大海は芥を択ばずの意味は?

「大海は芥を択ばず」は「たいかいはあくたをえらばず」と読みます。

大きな海がどんなに小さな芥(ごみやちり)であっても選ばずに受け入れることから、広く深い心を持ち、どんな小さなものでも差別せずに受け入れる態度を表すことわざです。

つまり、偉大な人物は細かいことにこだわらず、広い心で人や物事を受け入れるという意味が込められています。

また、「大海は塵(ちり)を択ばず」と言うこともあります。

大海は芥を択ばずの由来は?

「大海」という表現は、そのまま「大きな海」を意味し、海の壮大さや威厳を称える言葉です。

「芥」は、塵(ちり)やほこり、細かいごみを指します。

そこから、「大海は芥を択ばず」は、広大な海は、川を通じて運ばれてくる細かいごみやほこりをも、区別なく全て受け入れるという意味になります。

この様子を人間の関係性や相互作用に喩えると、偉人は広い心を持ち、人々を差別せずに迎え入れることを象徴します。

つまり、大人物は人を選ばず、全てを受け入れる広い心の持ち主であることを意味します。

「大海は芥を択ばず」の起源はハッキリしたことは分かっていませんが、室町時代の絵物語「御伽草子・浄瑠璃十二段草子」には、

大かいちりをゑらまず、花は所をさだめぬもの、でいの中にもこがねあり

と記されており、この表現が当時から存在していたことが分かります。

さらに、中国の前漢時代に司馬遷が記した歴史書「史記」に、「河海は細流を択ばず(かかいはさいりゅうをえらばず)」「泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)」という同様の意味を持つ表現が見られます。

これらの表現が元となり、「大海は芥を択ばず」という言葉が生まれたと考えられます。

大海は芥を択ばずの例文をご紹介

「大海は芥を択ばず」の使い方として、例文を5つ紹介します。

  • 大海は芥を択ばずというように、彼は社内の階層や部署を問わず、すべての意見を公平に聞き入れることで知られている。
  • ボランティア団体のリーダーは、大海は芥を択ばずの姿勢で、どんな小さな支援も拒まず、多くの人々から尊敬を集めている。
  • 大海は芥を択ばずという言葉を胸に、彼女は新しいプロジェクトに取り組む際、どんな些細なアイデアも大切にすることを心掛けている。
  • 彼は、教育者として大海は芥を択ばずの理念を持ち、生徒一人ひとりのの可能性を信じて、分け隔てなく接している。
  • 人の上に立つ者は、常に大海は芥を択ばずという心構えを持ち、部下の小さな意見や提案も差別なく受け入れるべきである。

大海は芥を択ばずの類義語をご紹介

「大海は芥を択ばず」とよく似た意味を持つ表現を以下に2つ紹介します。

河海は細流を択ばず(かかいはさいりゅうをえらばず)

由来のところで説明したとおり、司馬遷の史記に見られる表現です。

大河や海がどんなに小さな川であっても選ばずに受け入れることから、偉大な人物や組織は、小さなものや細かいことを差別せず、広い心で受け入れる態度を示しています。

この表現は、どんなに小さい貢献や意見も価値があると認め、それを受け入れる大らかさや寛容さを象徴しています。

泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)

こちらも史記に見られる表現です。

泰山(中国の山で、ここでは偉大さの象徴として用いられる)がその土地を譲らない、つまり揺るぎない安定性と堅固さを持つことを表します。

強固な立場や信念を持ち、どんなに小さな挑戦や変化にも動じない強さや安定性を持つ人物や組織を称えるために使われます。

大海は芥を択ばずの対義語をご紹介

「大海は芥を択ばず」の対義語は、心が狭いという意味の表現が考えられます。

  • けち臭い
  • 器が小さい
  • 度量が狭い
  • 狭量な(きょうりょうな)
  • ケツの穴が小さい

などがあげられます。

ことわざではありませんが、一般的によく使われる表現です。

大海は芥を択ばずの英語表現をご紹介

「大海は芥を択ばず」を英語で表現すると

The sea refuses no river.
(海はどんな川も受け入れる)

となります。

まとめ

「大海は芥を択ばず」は、偉大な人物は細かいことにこだわらず、広い心で人や物事を受け入れるという意味です。

特に現在は、コンプライアンスが厳しく、小さなミスも許されない風潮があります。

これは仕方のないことで、今後もこの流れは続いていくものと思われます。

ただし、世の中に出回る情報を全て鵜呑みにせず、広い視野を持つことは大切です。

そのうえで是非を判断するのが、本当の意味での度量の大きい人物と言えるのではないでしょうか。