「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがあります。

立派な人ほど謙虚であるという意味で、よく知られている表現だと思います。

また、五・七・五調の俳句形式となっていますが、作者はいるのでしょうか。

この記事では、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味や由来、実際の使い方や類義語なども詳しく紹介しています。

実るほど頭を垂れる稲穂かなの意味は?

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」と読みます。

意味は、立派な人ほど謙虚に振る舞うという様子を表しています。

成熟した稲穂がその重さで下に垂れる姿から、この言葉が生まれました。

稲は、田植えの際にはわずか10センチメートルほどの苗から始まりますが、成長するにつれて数十センチメートルにまで伸び、やがて実をつけます。

実が成熟するにつれて、その重さで稲穂は垂れ下がるようになります。

この自然の現象が、人間の内面的な成長と謙虚さを象徴するようになったということです。

実るほど頭を垂れる稲穂かなの作者は?

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、五・七・五調になっているので、俳句だと考えられます。

ですが、その作者については分かっておらず、詠み人知らずとなっています。

由来としては、江戸時代の俳諧論書「毛吹草」に記された一節にあるのではないかと考えられています。

この文献に、「菩薩実が入れば俯く、人間実が入れば仰向く」という言葉があります。

現代語に訳すと、「稲は実ると穂先を垂れるが、人間は裕福になると尊大になりがちだ」という意味になります。

つまり、未熟な人ほど自己を過大評価し、傲慢に振る舞う傾向があるということです。

そして、この表現の逆の意味として、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ができたと考えられるわけです。

ただし、この説は推測の域を超えません。

また、「毛吹草」の編者は松江重頼という俳人ですが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」との関わりについては、詳しいことは分かってはいないようです。

実るほど頭を垂れる稲穂かなの使い方は?

続いて、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の使い方として、5つの例文を紹介します。

  • 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざのように、成功や名誉があっても、常に謙虚さを忘れてはいけない。
  • 彼はビジネスで大成功を収めたが、その成功に伴う傲慢さはない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がぴったりだ。
  • 教授は、自分の専門知識が深いほど、学生に対して柔和で謙虚な態度を取る。まさに「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が当てはまる。
  • 彼はアスリートとしての黄金期を迎えているが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というように、自己満足に陥ることなく、一層の練習に励んでいる。
  • 彼女は長年の研究で多くを成し遂げているが、その謙虚さは変わらない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が、彼女の人柄をよく表していると思う。

実るほど頭を垂れる稲穂かなの類義語は?

次に、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とよく似た意味を持つ表現として、以下の3つを紹介します。

和光同塵(わこうどうじん)

「光を和らげて塵と同じくする」という意味で、賢い人や徳の高い人が、その才能や徳を隠して平凡な人々と同じように振る舞うことを表します。

自らの優れた資質を控えめにし、目立たないようにする態度を指します。

大智如愚(だいちじょぐ)

「大いなる智慧は愚かであるかのように振る舞う」という意味です。

非常に賢い人が、その知恵をひけらかさず、むしろ愚かであるかのように振る舞うことを言います。

内清外濁(ないせいがいだく)

「内面は清らかで外見は濁っている」という意味で、内面の純粋さや徳を持ちながら、外見上は質素や控えめであることを表します。

真の価値や徳は外見ではなく、内面にあるという考えを示しています。

実るほど頭を垂れる稲穂かなの対義語は?

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の対義語も、3つ紹介します。

虚勢を張る(きょせいをはる)

実際には力や能力がないにも関わらず、強く見せかけることを意味します。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは逆に、自分の実力以上に見せようとする傲慢さや虚栄心を示しています。

弱い犬ほどよく吠える(よわいいぬほどよくほえる)

実際には力がない人ほど、大きな声で威嚇したり、自己主張を強くする傾向があることを表すことわざです。

実力不足を大声や態度でごまかそうとする様子を示しています。

張り子の虎(はりこのとら)

虎の形をした首の動く張り子のことで、ゆらゆらと首を振る様子から、首を振る癖のある人→見かけだおしの人という意味になりました。

見た目は立派でも、実力がなく、強く見せてかけている様子を表しています。

まとめ

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、立派な人ほど謙虚であるという意味です。

実際には、大きな成功を収めても、傲慢に振る舞う人がいるのも事実です。

ただ、それが一概に悪いこととは言えないですね。
戦略として、そういう態度をとっていることもあるようですし。

ですが、実力が伴っていないのに、態度がでかいというのはいただけないですね。

何事も、実力や実績を積む過程では、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という姿勢を忘れないようにしたいものです。