自民党には、いわゆる派閥がありますね。

自民党の長い歴史のなかで、派閥同士が合流するかと思えば、逆に分裂したり、さらには無くなったり。

その変遷の歴史は、かなり複雑なものです。

今回は、自民党で現在存在している派閥を中心に、自民党の派閥の歴史を詳しく説明しました。

自民党の派閥変遷図

以下に、自民党の派閥の変遷の過程を大まかに略図にしました。

ご参考になれば幸いです。

自民党派閥簡略図前編
自民党派閥略図後編

「清和政策研究会」 現在の自民党最大派閥!

清和政策研究会(せいわせいさくけんきゅうかい)は、先代の会長の安倍晋三氏の名前から通称「安倍(晋三)派」と呼ばれています。

また、略称として、清和研(せいわけん)または清和会(せいわかい)と呼ばれることもあります。

安倍派は、岸信介元首相率いる岸派を主体にし、福田赳夫氏を中心として結成されました。

1962年に当時の首相であった池田勇人氏の「所得倍増計画」に異を唱える形で結成され、当初は「党風刷新連盟」という名称でした。

福田赳夫氏自身は派閥に対して否定的で、内閣総理大臣に就任した際は、派閥は一旦解消する運びとなります。

ですが、退任後に再結成され、1979年に「清和会」が創立されました。

名前の由来は、「清廉な政治で人民を穏やかにする」=「政清人和」という「晋書」の故事にあるとされています。

そして、森喜朗氏が清和会の会長となったときに「清和政策研究会」と改称され、現在に至っています。

清和政策研究会はタカ派色が強く、憲法改正や再軍備に積極的で、親米という特徴があります。

福田赳夫氏が首相になって以降、派閥内の内紛もあり、長らく内閣総理大臣を輩出することはありませんでしたが。

2000年以降は、森喜朗氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏の4人が内閣総理大臣に就任しています。

現在、清和政策研究会に所属する議員は100人近くおり、自民党最大派閥となっています。

しかし、2022年7月8日に、安倍晋三氏が襲撃され、亡くなってしまいます。

その後、世界平和統一家庭連合(旧統一協会)との関係が取り沙汰され、清和政策研究会といえども、混迷をきたしている状態です。

さらに、会長のポストも、現在空席となっています。

歴代会長

会長 在職期間
1 福田赳夫 1979年1月~
1986年7月
2 安倍晋太郎 1986年7月~
1991年6月
3 三塚博 1991年6月~
1998年12月
4 森喜朗 1998年12月~
2000年4月
5 小泉純一郎 2000年4月~
2001年5月
6 森喜朗 2001年5月~
2006年10月
7 町村信孝 2006年10月~
2007年9月
集団
指導体制
町村信孝
中川秀直
谷川秀善
2007年10月~
2009年2月
8 町村信孝 2009年2月~
2014年12月
9 細田博之 2014年12月~
2021年11月
10 安倍晋三 2021年11月~
2022年7月
空席 2022年7月~

「宏池会」 由緒ある自民党最古参の派閥!

宏池会(こうちかい)の現在の会長は岸田文雄氏で、通称「岸田派」と呼ばれています。

宏池会は1957年6月に、後に首相となる池田勇人氏により旗揚げされました。

吉田茂元首相のグループが、池田氏の派閥と、同じく後に首相となる佐藤栄作氏の派閥に分かれる形で、宏池会(こうちかい)が結成される運びとなります。

宏池会は経済政策を軸とした初めての派閥であり、自民党派閥の元祖といわれ、最も歴史が古いとされています。

宏池会の名称は、後漢の学者・馬融の書にある「高崗の榭(うてな)に臥し、以って宏池に臨む」という一文が由来。

また、派閥の特徴としては、吉田茂元首相の基本政策である「軽武装・経済重視」を継承し、政策には明るい議員が多く所属しています。

その反面、権力闘争には弱く、「公家集団」と揶揄されることもあるようです。

さて、宏池会にとって最大の事件は、いわゆる「加藤の乱」でしょう。

2000年11月に当時の森内閣に不信任案が提出され、これに宏池会第6代会長の加藤紘一氏が賛同します。

しかし、加藤氏は派閥をうまくまとめることができず、森内閣の不信任決議案は可決されませんでした。

これをきっかけに、加藤氏を支持するグループと対立するグループに分裂。

反加藤氏のグループは堀内光雄氏が率いる形となり、加藤派と堀内派がどちらも宏池会を名乗るという混乱した状況となりました。

その後、加藤派の流れをくむ谷垣禎一氏の派閥と、堀内派を継承する古賀誠氏の派閥が合流することになり、宏池会は2008年5月に統一されることになります。

ところが、今度は谷垣禎氏と古賀誠氏が対立するようになり、結局谷垣氏は派閥を離脱。

谷垣氏を支持する議員たちと共に、宏池会は再び分裂することになります。

現在の宏池会の会長・岸田文雄氏は古賀氏の後継者であり、古賀氏のグループを率いる存在と目されています。

しかし、岸田氏は古賀氏と元首相の麻生太郎氏との板ばさみにあい、岸田氏に不満を抱いた古賀氏は派閥から距離を置くようになったと言われています。

過去には、創設者の池田勇人氏をはじめ、大平正芳氏、鈴木善幸氏、宮澤喜一氏の4名の内閣総理大臣を輩出し、名門というにふさわしい時期がありましたが。

しばらく、岸田文雄氏を首相にしようと支持するグループがあるものの、それとは距離を置くグループもあり、派閥は統一されていない状況にありました。

ですが、2021年9月に岸田氏が自民党の総裁選に勝利し、さらに10月に内閣総理大臣に就任しました。

これにより、岸田氏の求心力も高まった感があります。

ただし、岸田氏の政権維持には、安倍派と麻生派との援助は欠かせないところもあり、宏池会も盤石の状態とはなかなかいかない模様です。

歴代会長

会長 在職期間
1 池田勇人 1957年~1965年
2 前尾繁三郎 1965年~1971年
3 大平正芳 1971年~1980年
4 鈴木善幸 1980年~1986年
5 宮澤喜一 1986年~1998年
6 加藤紘一 1998年~2001年
分裂 (※注1) 2001年~2008年
7 古賀誠 2008年~2012年
8 岸田文雄 2012年~
※1 加藤の乱により、宏池会が2つに分裂。

加藤紘一氏を支持する派は、小里貞利氏→谷垣禎一氏が会長に。

反加藤派は、堀内光雄氏→丹羽雄哉・古賀誠氏共同代表→古賀誠氏が会長へという変遷を経ています。

「志公会」 他派閥との合流により勢力拡大!

志公会(しこうかい)の会長は麻生太郎氏で、通称「麻生派」と呼ばれています。

志公会は、前述の宏池会から独立したという経緯があります。

宏池会で宮澤喜一氏が会長であったとき、その後継者は加藤紘一氏に決まりますが、元自民党総裁の河野洋平氏がこれに反発。

麻生太郎氏ら15人と共に、河野氏は派閥を脱退し、大勇会という独自の派閥を設立します。

やがて、麻生氏は大勇会を継承しつつ新派閥を旗揚げ。

創立当初は少人数の派閥で、その状態が長く続きますが、自民党内での麻生氏の求心力が増していき、所属する議員も増加。

他派閥からの合流も相次ぎ、2017年7月に正式に志公会を立ち上げます。

志公会という名前には、「公に尽くす高い志を持った政策集団」という思いが込められています。

派閥の源流となった河野氏はハト派として知られていましたが、麻生氏自身はタカ派寄り。

様々な系統を持つ議員が所属するものの、政治的思想はタカ派色が濃く、そのための政策実現にも積極的というのが、現在の派閥の特徴としてあげられます。

歴代会長

会長 在職期間
1 麻生太郎 2017年~

「平成研究会」 なかなか一枚岩になれないかつての最大派閥

平成研究会(へいせいけんきゅうかい)の現在の会長は茂木敏充氏で、通称「茂木派」と呼ばれています。

吉田茂元首相のグループが、池田勇人氏の派閥と分かれる形で佐藤栄作氏の派閥ができあがりますが、このときの佐藤派が源流となります。

佐藤氏を継承した田中角栄元首相が、自民党を離党しつつも影響力をふるっていましたが、これに竹下登氏や金丸信氏が反発。

やがて、竹下氏のグループが優勢となり、田中派のメンバーの大部分を取り込む形で、新派閥の経世会を立ち上げました。

竹下登氏は首相になり、その後リクルート問題で退陣しますが、この頃は自民党の最大派閥として、政治界を牛耳るほど大きな影響力を誇りました。

竹下氏の後を継ぐことになったのは小渕恵三氏ですが、小渕氏が派閥を率いているときに、派閥の名称が「平成政治研究会」→「平成研究会」と改称されました。

しかし、それまで「鉄の結束」と称されていた派閥は、後継者の選出や総裁選のたびに分裂や混乱を繰り返すようになります。

橋本龍太郎氏から小渕恵三氏に首相の座が引き継がれたときも、派閥内はまとまらず、派閥内の有力者であった小沢一郎氏と羽田孜氏は、小渕氏のグループと対立する形で自民党を離党。

2001年には、橋本龍太郎氏が総裁選に出馬しますが、清和政策研究会の小泉純一郎氏に大敗。

以後、平成研究会はさらに求心力を失っていきます。

2003年の総裁選には、野中広務氏らの衆院側が独自候補の擁立を図りますが、青木幹雄氏や村岡兼造氏の参院側は小泉氏支持を表明。

これがきっかけとなり、2004年7月から2005年12月まで、衆議院と参議院で別々の派閥総会を開くという異常事態に陥ったこともあります。

2018年4月に、竹下登氏の異母弟である竹下亘氏が会長となり、派内の一致団結を模索していましたが、志半ばで2021年7月に政界引退を表明。

さらに、同年9月に亡くなってしまいます。

これに伴い、茂木敏充氏が会長職を引きつぐこととなりました。

また、茂木氏は幹事長に就任したものの、平成研究会は、2000年に首相在職中に病に倒れた小渕恵三氏以降、今もまだ内閣総理大臣を輩出していません。

歴代会長

会長 在職期間
1 竹下登 1987年
2 金丸信 1987年~1992年
3 小渕恵三 1992年~1998年
4 綿貫民輔 1998年~2000年
5 橋本龍太郎 2000年~2004年
空席 2004年~2005年
6 津島雄二 2005年~2009年
7 額賀福志郎 2009年~2018年
8 竹下亘 2018年~2021年
9 茂木敏充 2021年~

「志帥会」 党の人事ならお任せを!

志帥会(しすいかい)の会長は二階俊博氏が現在の会長で、通称「二階派」と呼ばれています。

山崎拓氏のグループが「政策科学研究所」(中曽根康弘元首相派)が 清和会(三塚派→現・細田派)から離脱していた亀井静香氏のグループと合流し、1999年3月18日に結成されました。

志帥会という名称は、孟子の「志は気の帥なり」が由来となっています。

その後しばらく、中曽根康弘元首相が派閥の最高顧問、亀井静香氏が会長代行や会長として精力的に活動しますが、清和政策研究会の小泉政権が誕生してからは、「抵抗勢力」と位置付けられます。

中曽根元首相は引退に追い込まれ、小泉政権が掲げる「郵政民営化」に反対した亀井氏も派閥の会長を辞任し、自民党を離党してに国民新党を立ち上げるという事件が起こりました。

亀井静香氏が派閥を離脱し、自民党も離党した後、伊吹文明氏が会長となりますが、2009年の衆議院議員総選挙で派閥のメンバーの落選が相次ぎ、派閥の勢力も大きく削がれることになります。

しかし、その直後、状況が大きく変わる出来事が起こります。

それが、二階俊博氏の派閥への仲間入りです。

一時期自民党から離れていた二階氏のグループが、志帥会へ合流。

これを機に、派閥の勢力が徐々に大きくなっていきます。

特に二階氏が会長になってからは、他派閥や民主党などの他党の出身者を積極的に受け入れ、拡大戦略を推進。

その結果、二階派を抜きにして、党の人事は語れないという事態にまで至ります。

その後、二階派から続々と入閣者を輩出し、長年重要ポストに就けなかった議員が二階派に移ってから、様々なポストに就任するという流れまで出来上がりました。

二階氏自身も、歴代最長となる1885日間、自由民主党幹事長を務めました。

ですが、二階派の拡張路線が続けば、他派閥とのあつれきを生み、バランスを壊してしまうと危惧する声が少なからずありました。

そのため、いわゆる「二階外し」の動きが活発化。

2021年8月には、当時の首相であった菅義偉氏が二階氏と会談し、二階氏は幹事長交代を容認。

菅義偉氏が首相を辞職し、岸田文雄が自民党の総裁になったときも、党の人事一新で二階氏は幹事長になることはありませんでした。

二階氏の影響力は今なお健在ですが、さすがにやや低下しているのは否めないところでしょう。

歴代会長

会長 在職期間
1 村上正邦 1999年
2 江藤隆美 1999年~2003年
3 亀井静香 2003年~2005年
平沼赳夫 2005年
4 伊吹文明 2005年~2012年
(※2007年~翌年まで空席)
5 二階俊博 2012年~2014年
空席 2014年~2021年
5 二階俊博 2021年~

どの派閥にも属さないベンチャー派閥「水月会」⇒派閥は解消しグループへ

石破茂氏が立ち上げた水月会(すいげつかい)は、会長の石破氏の名前から「石破派」と呼ばれていました。

水月会は、2013年1月31日に自民党内の無派閥の議員の情報連携の場として結成された「無派閥連絡会」が起源となります。

2015年9月に、「無派閥連絡会」の顧問であった石破茂氏が同連絡会を解散し、新派閥の水月会を旗揚げしました。

水月会の名称の由来は、月影が水面に映る様子を表した「水月道場に坐す」という禅語にあり、「水も月も無心に映すところから、無私、無欲の高い境地」「無心にして自由な働きをし、自由自在な境地のこと」を意味しています。

水月会は、1955年の自民党発足時の派閥の流れをくまず、新たに無派閥の議員を中心に構成された「ベンチャー企業」的存在で、石破氏も自称していました。

「ベンチャー派閥」の名にふさわしく、通信アプリを利用したイラストの紹介や販売など、今までにはなかった新しい試みや新分野の活動に積極的に取り組んだりもしていました。

石破氏自身何度も自民党総裁選に出馬しましたが、4度目の2020年9月14日の総裁選挙でも敗れ、その責任をとる形で、石破氏は水月会の会長を辞任。

その後、後任が決まらないまま1ヶ月もの間、例会が開けない状態が続きましたが、鴨下一郎氏・後藤田正純氏・福山守氏・冨樫博之氏の4人の世話人による集団指導体制がとられることになりました。

しかし、石破氏から距離を置く動きを見せるベテラン勢と、石破氏を支持する若手との対立も見え始め、派閥内の混乱は続きます。

そして、2021年12月、遂に派閥としての石破派は解消。

議員同士の結びつきが緩やかな、グループとしての形態をとることとなりました。

歴代会長

会長 在職期間
1 石破茂 2015年~2020年

「近未来政治研究会」 少人数でも無視できない存在感!

近未来政治研究会(きんみらいせいじけんきゅうかい)の会長は森山裕氏で、通称「森山派」と呼ばれています。

中曽根康弘元首相が源流となる「政策科学研究所」から、山崎拓氏のグループ37名が分離独立する形で、1998年12月に結成されたのが、近未来政治研究会となります。

ちなみに、山崎拓氏のグループが離脱した後の政策科学研究所は、少数派閥に転落することとなりますが、三塚派から離脱していた亀井静香氏のグループと対等合併し、前述の志帥会を結成するに至っています。

山崎氏は小泉純一郎氏と盟友であったのは有名な話ですが、小泉政権の下でも山崎氏は幹事長・副総裁を務め、党内主流派となります。

ところが、2006年の自民党総裁選挙では、安倍晋三氏を支持するかどうかで派閥内は対立。

このときを境に、派閥の結束は弱まっていきます。

2007年には、元党政調会長の石原伸晃氏が派閥に入会。

石原氏は積極的に自民党総裁選に出馬しますが、いずれも落選。

2012年の衆議院議員総選挙に山崎拓氏は立候補せずに引退し、石原氏が新会長に就任します。

しかし、以前から派閥に綻びが生じていた上、この派閥の新体制に反発した派閥初期のメンバーが離脱。

その結果、現在は自民党内の最小派閥となり、入閣者が0人という時期もありました。

とはいえ、2020年9月16日に発足した菅義偉内閣では、森山裕氏が国会対策委員長に再任され、坂本哲志氏が一億総活躍担当大臣に就任。

さらに、2022年8月10日に発足した第2次岸田改造内閣では、森山氏は自由民主党選挙対策委員長に就任。

とりわけ、森山氏は菅首相からの信頼が非常に厚いと言われており、少人数の派閥ながら、決して無視することのできない存在感を持っています。

そして、石原伸晃氏は、2021年10月の第49回衆議院議員総選挙で落選し、近未来政治研究会の会長を辞任。

森山裕氏がその後を継ぎ、会長となりました。

歴代会長

会長 在職期間
1 山崎拓 1998年~2012年
2 石原伸晃 2012年~2021年
3 森山裕 2021年~

無派閥 自民党議員の2割近くを占める大人数!

2020年9月16日に内閣総理大臣に就任した菅義偉氏は、自民党初となる無派閥の総裁です。

以前は宏池会に所属していましたが、2009年の自民党総裁選挙の際に退会しています。

無派閥とはいえ、「ガネーシャの会」「菅義偉を支える参議院議員の会」「令和の会」といった、菅氏を支持するグループがいくつかあります。

「ガネーシャの会」のガネーシャは、インドの象の神様として有名ですね。

有名な言い伝えとしては、シヴァ神とパールヴァティー神の息子で、パールヴァティーの入浴中に護衛をしていたところ、シヴァ神が入ろうとしたのでそれを止めて、シヴァ神が怒って首を切り落とされ、代わりに象の首を取り付けたというものがあります。

…と、まあ、そんなマニアックな話は置いといて…

「ガネーシャの会」は、自民党の各派閥と同じように定例会を開き、その結束力は固いと言われています。

現在、自民党議員の約2割は無派閥であり、最大派閥の安倍派に次ぐ人数を占めています。

なかでも、菅氏を支持する議員は多く、その勢いは盛んな状態。

菅義偉氏自身は、2021年9月に自民党総裁任期満了と共に首相を退任することになりましたが。

それでも、従来の派閥主導よりも、党本部の影響力が大きくなった中、その動向が注目されています。