概要

  • 生年月日:1959年4月10日
  • 没年月日:1973年
  • 性別:牡
  • 毛色:栗毛
  • 父:ゲイタイム
  • 母:フェアハネー
  • 母父:フェアウェイ
  • 生産者:濱中牧場
  • 馬主:溝本儀三男氏
  • 調教師:松山吉三郎(東京)
  • 全戦績:20戦 8勝
  • 主な勝ち鞍:日本ダービー
  • 獲得賞金:1498万6650円
  • 1962年 啓衆社賞最優秀4歳牡馬

成績

開催日 競馬場 競走名 距離 馬場
状態
着順 人気 頭数 タイム 騎手 斤量 勝ち馬
(2着馬)
1961/9/3 東京 3歳新馬 1200 3 1 5 1:15.3 野平祐二 51 スズサンゲツ
1961/9/16 東京 3歳新馬 1100 1 2 5 1:07.3 野平祐二 51 (ミスホウゲツ)
1961/10/21 東京 3歳 1000 2 1 7 1:00.7 野平祐二 51 クインコータミン
1961/11/5 東京 3歳ステークス 1400 1 2 4 1:25.8 保田隆芳 51 (チェス)
1961/12/2 中山 3歳 1200 稍重 2 2 6 1:11.3 野平祐二 53 シモフサホマレ
1961/12/24 中山 3歳 1200 1 1 10 1:11.5 保田隆芳 53 (テツフォード)
1962/3/11 中山 4歳 1600 1 1 5 1:39.7 高橋英夫 55 (ミストップ)
1962/3/31 中山 4歳 1800 稍重 1 1 5 1:53.3 高橋英夫 55 (ヤマニンフレーム)
1962/4/22 中山 皐月賞 2000 11 4 16 2:04.8 高橋英夫 57 ヤマノオー
1962/5/27 東京 東京優駿 2400 1 6 32 2:31.2 高橋英夫 57 (ヤマノオー
コレヒサ)
1962/9/29 京都 4歳以上 1600 2 1 8 1:37.3 吉永正人 55 リュウライト
1962/10/14 阪神 阪神競馬場
スタンド完成記念
2000 稍重 5 1 10 2:05.1 伊藤修司 59 グレイトスタン
1962/11/25 京都 菊花賞 3000 17 5 3 3:10.7 高橋英夫 57 ヒロキミ
1962/12/23 中山 有馬記念 2600 10 9 13 2:44.4 高橋英夫 54 オンスロート
1963/1/20 中山 アメリカジョッキー
クラブカップ
2600 3 4 6 2:42.4 保田隆芳 55 コレヒサ
1963/4/7 中山 5歳以上 1600 1 4 6 1:37.1 吉永正人 56 (トキクイン)
1963/4/29 東京 5歳以上 1800 1 1 7 1:49.6 吉永正人 56 (トキクイン)
1963/5/19 東京 アルゼンチンジョッキー
クラブカップ
2300 稍重 3 1 4 2:23.9 高橋英夫 57 エムローン
1963/6/23 中山 日本経済賞 2600 3 2 7 2:45.2 保田隆芳 57 ヤマノオー
1963/10/12 中山 4歳以上 1800 7 3 11 1:51.0 吉永正人 59 メイズイ

5代血統表

ゲイタイム
1949 栗
Rockefella Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Rockfel Felstead Spion Kop
Felkington
Rockliffe Santorb
Sweet Rocket
Daring Miss Felicitation Colorado Phalaris
Canyon
Felicita Cantilever
Best Wishes
Venturesome Solario Gainsborough
Sun Worship
Orlass Orby
Simon Lass
フェアハネー
1943 栗
Fairway Phalaris Polymelus Cyllene
Maid Marian
Bromus Sainfoin
Cheery
Scapa Flow Chaucer St.Simon
Canterbury Pilgrim
Anchora Love Wisely
Eryholme
Honey Buzzard Papyrus tracery Rock Sand
Topiary
Miss Matty Marcovil
Simonath
Lady Peregrine White Eagle Gallinule
Merry Gal
Lisma Persimmon
Luscious

備考

第29回(1962年)日本ダービー優勝馬。

皐月賞までは8戦して5勝、2着2回、3着1回という活躍をしていましたが、皐月賞は11着と大敗。

しかし、日本ダービーでは6番人気と評価を落とすものの、見事に優勝しました。

その後、菊花賞、有馬記念の両レースに大敗してしまい、翌年にオープン戦を2勝したものの、重賞で勝利をあげることはできませんでした。

引退後は種牡馬となりましたが、活躍する産駒を輩出することはできずに、1973年に亡くなりました。