概要
- 生年月日:1964年2月29日
- 没年月日:1988年?1991年?
- 性別:牡
- 毛色:鹿毛
- 父:シーフユリユー
- 母:ニユーベツシー
- 母父:トシシロ
- 生産者:千葉新田牧場
- 馬主:手塚栄一氏
- 調教師:藤本冨良(東京)
- 全戦績:9戦 6勝
- 主な勝ち鞍:日本ダービー
- 獲得賞金:2426万8600円
成績
開催日 | 競馬場 | 競走名 | 距離 | 馬場 状態 |
着順 | 人気 | 頭数 | タイム | 騎手 | 斤量 | 勝ち馬 (2着馬) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1966/12/11 | 中山 | 3歳新馬 | 1200 | 良 | 4 | 12 | 15 | 1:14.6 | 藤本勝彦 | 52 | スガトモユキ |
1966/12/25 | 中山 | 3歳新馬 | 1200 | 良 | 4 | 3 | 12 | 1:14.1 | 藤本勝彦 | 52 | スペイス |
1967/1/3 | 中山 | 4歳未勝利 | 1600 | 重 | 1 | 5 | 15 | 1:39.6 | 藤本勝彦 | 52 | (ミツワエリート) |
1967/1/14 | 中山 | 紅梅賞(60万円以下) | 1600 | 稍重 | 1 | 4 | 16 | 1:39.4 | 藤本勝彦 | 52 | (イチコ) |
1967/1/28 | 東京 | 4歳オープン | 1600 | 良 | 1 | 1 | 6 | 1:39.0 | 藤本勝彦 | 52 | (スイノエース) |
1967/3/5 | 東京 | 弥生賞 | 1600 | 良 | 1 | 2 | 11 | 1:38.7 | 森安重勝 | 53 | (タイギョウ) |
1967/3/25 | 中山 | オープン | 1600 | 良 | 1 | 1 | 9 | 1:38.8 | 森安重勝 | 56 | (チカラ) |
1967/4/30 | 中山 | 皐月賞 | 2000 | 稍重 | 7 | 1 | 14 | 2:07.7 | 増沢末夫 | 57 | リュウズキ |
1967/5/14 | 東京 | 東京優駿 | 2400 | 良 | 1 | 5 | 28 | 2:30.9 | 増沢末夫 | 57 | (ヤマニンカップ) |
5代血統表
シーフュリュー 1957 青 |
Sicambre | Prince Bio | Prince Rose | Rose Prince |
Indolence | ||||
Biologie | Bacteriophage | |||
Eponge | ||||
Sif | Rialto | Rabelais | ||
La Grelee | ||||
Suavita | Alcantara | |||
Shocking | ||||
Hell’s Fury | Dante | Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Rosy Legend | Dark Legend | |||
Rosy Cheeks | ||||
Sister Sarah | Abbots trace | tracery | ||
Abbots Anne | ||||
Sarita | Swynford | |||
Molly Desmond | ||||
ニユーベツシー 1949 栗 |
トシシロ | ダイオライト | Diophon | Grand Parade |
Donnetta | ||||
Needle Rock | Rock Sand | |||
Needlepoint | ||||
月城 | Campfire | Olambala | ||
Nightfall | ||||
星旗 | Gnome | |||
Tuscan Maiden | ||||
プリユー | プリメロ | Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Athasi | Farasi | |||
Athgreany | ||||
ユーターピーノ一 | レイモンド | Gainsborough | ||
Nipisiquit | ||||
ユーターピー | トリニチースクエーア | |||
玉姫 |
備考
第34回(1967年)日本ダービー優勝馬。
3歳時(現表記:2歳)は2戦して勝ち星をあげることができなかったものの、4歳時(現表記:3歳)になってから見ちがえるような走りを見せ、皐月賞まで5連勝をあげます。
皐月賞はスタートの出遅れがひびき、7着と惨敗しますが、日本ダービーを見事に優勝。
このときのダービーには逸話があります。
レース前まで快晴という天気だったのが、直前になって雷を伴った大雨となります。
この急変に驚く馬が多かった中で、アサデンコウは終始落ち着いていたと言われ、好位置をキープしたまま直線で一気に抜け出し勝利しました。
そのため、「電光(デンコウ)」を味方につけた勝利と言われました。
しかし、レース中に骨折していたことが判明し、表彰式に出ることなく馬運車で運ばれてしまいます。
歴代ダービー馬の中で表彰式の記念写真がないのはアサデンコウだけですが、それにはこういう事情がありました。
このときの骨折により脚部不安は癒えることなく、アサデンコウは引退しました。
競走馬引退後は種牡馬となりましたが、成功をおさめることができず、1975年にタイに寄贈されました。
そして…
タイの政変により、アサデンコウは行方不明になってしまいます。
1988年に死亡とも、1991年に亡くなったとも言われており、正確なことは分かっていない状態です。